2017年09月22日

他人のせいにするな

仕事に限らず、失敗した時に発するこの言葉はいけない。


「貴方は、あの時そうしろと言ったでしょう」

「貴方から言われなければやらなかった」

「あの人のせいだ」

「あの人はダメだ」


数え上げればきりがない。


こんな言葉ばかり聞かされた時は大変不愉快で、その場から逃げ出したくなる。


こうして失敗しても、全てにおいて誰かに責任転嫁する人はいる。確かに、自分以外の誰かに言われたことは事実である。しかし、いつも他人に責任を押し付けてさえいれば気持ちが楽だが、最後に決めたのは自分である。


他人に責任転嫁する人は、ここを全く理解していない。自己愛が強過ぎるのか、プライドが高いのか、よく分からない。


これでは自分の意思はなく、自立すらしていないのだと宣言しているに等しい。


貴方は誰のために生きているのか?貴方の人生は誰のものか?


自分の人生は、もちろん自分だけのものである。他人のために生きていくことなどできない。自分の人生は自分だけがデザインできるものであり、どこかの他人に代わりに生きてもらうことはできない。


いつも他人に責任があると言う人は、自分で何事も決めることができず、自立できず、自分の人生すら責任を持てない悲しい人である。また、そのような人にこそ無責任の三文字がよく似合う。


年齢は関係ない。若くても自立した考えを持った人は大勢いる。反面、年を重ねていても自立すらしていない人も大勢いる。いわゆる、馬齢を重ねてきただけの人である。


いつも全責任は己にありと、背中に冷たい何かを感じながら、常にプレッシャーに負けずにいられる人こそ自立した大人である。


そんな人には、「愚痴や文句ばかり言っていないで、早く自立した大人になれ!」と言いたい。


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2017年09月03日

インカムゲイン

一定の初期投資で、毎月安定した利益を生み出す投資先を探して購入する。するとその後は労働が不要となり、人生は必ず楽になる。


先ず初めに、毎月10万円の利益を生み出す100万円の投資先があるなら、そのための種銭を貯める。これは最初にやらなけれなばならないこと。兎に角、アルバイトするなりしてコツコツと貯めることに徹する。決して困難ではないが忍耐力は必要な作業である。これができないと何も始まらない。


だが、たいていの人はこれができない。何故できないかの原因は簡単で、多くの人が目先の欲求に目が眩み途中で種銭を消費してしまうか、最初から諦めるからである。


さて、耐えに耐え、やがてめでたく投資できる金額を貯め、100万円を投資することができたとしよう。すでに商品は毎月10万円の利益を生むが、その利益をまだ使ってはいけない。ここでも貯めることに徹する。世間が発信する消費の誘惑に耐える。焦らずさらに、種銭を増やす事に専念する。


消費欲求に打ち勝ち、毎月10万円を10ヶ月間ストックして100万円にした。まだまだ、ここでも得た利益を使ってはいけない。そこで更にもう一つ100万円の投資をする。そうするとにより、毎月20万円の利益が生まれることになる。


ここでも消費せずに耐える。更に5ヶ月間辛抱すると、100万円ストックできるので、また一つ100万円を投資する。これで毎月10万円を生み出す商品が3つあるので、毎月30万円の利益になる。


この方法を何回転も繰り返えせば、再投資できるまでの期間は短縮され、毎月得られる利益も大きくなっていく。これは複利ではなく単純計算であるが、3年絶たないうちに最初に貯めた投資金額が毎月の利益となる。これが実現できれば、労働するのがバカバカしくなる。


もし欲しいものができたら、投資先から生み出された利益だけで購入する。コップに入れた水に例えるなら、コップの中の水(元本)を飲むのではなく、コップから溢れた水(利益)を飲むのである。コップの中の水を飲んでしまうと、水が溢れてこないので絶対にやらない。この考え方を実践すれば、自分の将来に対する不安は軽減される。


投資先は、ビジネスでもいいし株式や不動産でもいい。方法はいくらでもある。後は、やるかやらないかだけの違いでしかない。資産を増やしている人は、別に特別な手法を取り入れている訳では無い。違うのは、情報収集能力と充足の引き延ばしという考え方の違いだけである。


「そんな投資先があるのか」という疑問が生じるが、それすら探していない時点で、自分が利益を得ることの出来る可能性が低いと考えるべきである。


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2017年07月26日

業務多忙につき

新規事業立ち上げと経営支援業務が重なり、業務多忙となっております。支援スタッフが欲しいところですが、なかなか条件に見合う方が見つかりません。


マンパワーに頼るところの大きい業務は、拡大すればするほど自分の首を絞めることになります。もし起業するなら、この辺りを見極めた方がいいでしょう。


例えば、行列ができるほど美味しくて人気のあるラーメン店があるとします。外からは儲かっているように見えます。しかし、店主は毎日忙しくて大変なのです。


お店がオープンしている時間だけでなく、仕込みにも時間が必要だからです。仕事でいえば段取り時間であり、拘束時間が長いのです。時間給に換算すると、どこかでアルバイトでもしていた方がいい場合もあります。仕事のやりがいという面から見れば、この選択肢はないでしょうがね。


お客が増えれば増えるほど忙しくなり、人生における多大な時間を仕事に投入することになる。果たしてこれでいいのでしょうか。それぞれに考え方はあると思いますが、仕事に忙殺されるようになるなら、一度立ち止まって冷静に考えてみるのもいいのかも知れません。


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2017年07月10日

本当にお金儲けの技術習得はあるのか!?

人から自分が習得したい技術を教えてもらう場合、通常はお金で支払いをします。習い事はすべてそうです。


語学レッスン、武道、学習塾などがあり、生徒は先生や師匠に対する謝礼をお金で支払いします。つまり、そういう先生や師匠というのは結果的にお金を得る手段として、生徒に技術を教えているからです。


教えてもらう方側は、技術指導で得られるものの対価として、それに見合うだけのお金で支払います。


しかし、ここで「お金儲けの技術」「集客技術」を教える先生や師匠はどうでしょう。その人達は他人に教えなくても、自分でお金を得る手段を持っていなければ論理的に矛盾します。従って、「お金儲けの技術」「集客技術」を持つ先生や師匠は、それを教える必要がありません。


それで本当に儲かるのであれば、当分は他人に教える必要は無いからです。


そして、まず自分が儲かるのでなければ、教える価値も無い訳です。


世の中には、お金儲けの詐欺商材やセミナーが溢れています。


これらは、「万人に通用する方法はある」と見せかけているだけなのです。


確かに、本当に儲かる情報はあるかも知れません。


しかし、誠に残念ながら、その様な情報は公開されていません。閉鎖的環境の中で、当事者間だけで交換されています。


時々、それらが公開されることがあります。でも例えあったとしても、それらは偽物であるか、もう劣化して使えなくなったものである可能性が高いのです。


「ゴールドラッシュで儲けて笑っていたのは誰か」を考えれば明らかです。


さらに、もし仮に本当に金持ちになる技術であれば、もっと技術指導料が高くなけば矛盾します。どの程度儲けられるかによりますが、500万円、1,000万円、いや1億円でしょうか。


習得しようとする技術が真であれば、確実に投資した金額を生徒は回収できるはずだからです。


即戦力になる貴重な技術なら、これくらい貰ってもいいでしょう。いや、真の技術であれば、そうしなければいけないのです。


お金儲けや集客技術を公開している人は、「技術を公開する」そのこと自体がお金儲けになっているのではないですか?


誰が儲けて、誰が搾取されているのか。


もう一度書きます。


その技術で本当に儲かるのであれば、当分は他人に教える必要はありません。

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2017年06月30日

インターネットは魔法の杖ではない。

インターネット上でサービスや商品の販売をする際に、なぜかしら万能であると多くの人が誤解するのはなぜだろう。


ネット上では自分のサービスや商品が世間に知れ渡る機会が増えることにより、不特定多数に情報が発信され大勢の集客が見込め利益も向上するらしい。


いや、それは違うと思う。それなら、イオンのなどのショッピングモールに出店している店舗には、あれだけ不特定多数の人々が訪れるのだから繁盛してもよさそうなものだが、なぜ潰れていくのか説明できない。現実はそう上手くいかないようである。


公開されている情報も玉石混合であり、インターネットはすべてを解決すると、半ば盲目に信仰し過ぎているのではないか。確


かに人目に多く触れることは一つの要素として無視できないものではあるが、サービスや商品からもたらされる、その先にあるものが重要であり、インターネットといえど実店舗と同じ考え方が必要である。


インターネットは魔法の杖ではない。


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2017年06月21日

環境に合わせ変化する時が来た

仲介業者は、案件を依頼する排出事業者と事業者との間に入り、「仲介」をするのが主な役目です。

その仲介業務の範囲となるのは、事業者から依頼を受けたリクエストに基づく適正事業者を決め、契約締結までを行います。つまり、事業者が契約を締結した後のことには基本的に関与せず、契約後の対応と責任は排出事業者が担うことになります。廃棄物処理の場合、事業者のリクエストは「今より低料金で処理を行いたい」であることが多く、それを実現するため処分事業者に価格のダンピングを求めます。


管理会社は、管理・維持をするのが主な役目です。

例えば不動産管理会社の業務として、「集金管理」「入居者管理」「更新・終了・清算」「建物管理」などなど、管理・維持のため非常にたくさんの業務があります。管理を請け負う物件の貸主、つまり大家さんから受け取る「管理受託報酬」が、管理会社の主な収入源となり、産業廃棄物処理でいうなら、排出事業者から報酬をいただくことになります。受託している業務内容によって報酬は決定し、個々に異なります。物件を主に仲介するため、貸主や物件についてしっかり把握しています。


コンサルティングは、企業などのクライアントに対して、専門知識を活用し客観的に現状業務を観察して現象を認識、問題点を指摘し、原因を分析し、対策案を示して企業の発展を助ける業務を行う業務です。

専門家の立場から相談にのったり指導したりすることをします。コンサルティングという職種は、企業が抱える現状に対して、改善するべくお手伝いをする業務ということです。企業経営に関する業務全般に携わり、その内容は多岐に渡ります。契約期間中は定額報酬となり、野球でいえば、コーチのような役割だと思えば分かりやすいでしょう。


前述の3者を比べると、語弊があるためこれ以上書けませんが、そろそろ旧来のやり方では通用しない時代になりつつあります。


ここでどう変化するか。いつも時代のニーズや環境に合わせた変化は必要です。

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2017年06月13日

行動しなければ何も始まらない

アファメーションとは、肯定的な自己宣言のこと。ポジティブな言葉を自分に語りかけ、行動と人生に好ましい変化を起こすテクニックです。


肯定的な自己宣言をすることにより、自分を鼓舞することは可能かもしれません。しかし、アファメーションでできることの限界点はそこまでです。


世間では、まことしやかにこの方法が紹介されています。


こんなことで思いが実現するなら、宝くじの一等に当選し、思いを馳せている異性も意のままになり、仕事も順調に進みます。


「こんなことできるはずはない」と、心の底では皆がわかっているはずです。


でも、これを行うことは楽で簡単です。時間やお金を失うこともなく、ましてや命が危険に晒されることもありませんからね。


こんなものにすがるのは、「楽をしたい」「苦労はしたくない」「成功までの道のりをショートカットしたい」という気持ちの表れではないでしょうか。


まず先に「行動する」がなければ、絶対に成功することはありません。


とにかく、がむしゃらに行動する。


それができるようになった後で、アファメーションを行い心と対話する。これが正しい順序です。


ご紹介のウェブサイトのようになることはあり得ません。お手軽や宇宙など根拠のないことばかりで、そもそも引き寄せの法則があるのなら、数理で証明できなければなりません。


あり得ないことは明らかです。


分かりやすい例えなら、入学試験や資格試験を受けてから(行動する)合格を祈りますよね(アファメーションしても、回答した時点で結果はすでにでているので祈っても遅いですが)


アファメーションするだけで願いが叶うのは、試験すら受けず(行動しない)、合格を祈るようなものです。


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2017年06月10日

白人至上主義

アメリカは、世界中をかき乱している張本人である。日本への原爆投下、ベトナム戦争での虐殺、イラク侵略などをみれば、アメリカの野蛮性は分かる。


日本人はアメリカ人を信用していますが、本当にそこまで信用してよいのかどうか。


勿論、ロシア、中国も政策を実行する上で野蛮性はないとは言えませんが、アメリカ人は善人面をしながら、平気で野蛮な行動が出来る民族だと言うことを日本人は分かる必要があります。


今までアメリカが世界中でやってきたことをじっくり考えてみながら、にわか緊張感の高まってきたアジア情勢を含め、現在起こっている事件を検証すれば、事の本質が分かるかも知れません。


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2017年05月24日

日本人は働きすぎ!?

日本人は働きすぎなのでしょうか。いやいや違いますよ。反対に、働かなくなっています。


データブック国際労働比較2016 一人当たり平均年間総実労働時間


労働時間は短くなっていますが、「労働生産性が低いのは、日本人の働き方が非効率だから」というのは全くの誤解です。


現状のまま、いくらシステムを入れてもダメ。アニマル浜口のように「気合いだ〜」は、もちろんダメ。


国は労働時間の短縮や残業時間の見直をせまり、おまけに豆腐の値段にまで口を出す始末。でもそれって違うんじゃないの?

 


(成長が止まった日本)

日本の労働生産性が低いのは、算出付加価値が低いから。すなわち、成長が止まったからです。


労働生産性は、産出付加価値÷労働投入量(労働時間)で算出されます。


かつての日本は、物作りの国として他国から重宝がられ、作れば作るほどモノが売れました。作る国がなかったからですね。労働投入量に対し、算出付加価値が高かったからです。だから儲かりました。


でも今は違いますよ。日本のお家芸であるモノ作りを、他国が奪ってしまいました。


それでもかつて成功したモデルにすがり、モノ作りに固執しています。


そうなると、今では他国との価格競争に陥ります。それでも競争力を維持するため、労働投入量にメスを入れます。算出付加価値が低い中で利益を確保するために、人件費カット、人員整理、長時間労働を強います。


それでも、働く人はの所得は上がりません。算出付加価値が低いままだから、ますます疲弊するだけです。


高度な知識労働による付加価値のない、単なる物作りは、極限までコモディティ化が進んでおり、それでは利益が出ない状況になっています。つまり、物理的な原材料を加工して製品やサービスにするという行為それ自体では、利益なんて出やしないのです。



(生活コストの高い日本人)

さらに日本は生活水準が高く、それを維持するためには、ある程度お金必要です。単に生きているだけで、一人当たりにかかるコストが高いのです。当然、同じモノやサービスを生み出すための原価は高くなります。


中国やインドの単純労働者が、利益を生み出す「資産」であるのに対し、日本の単純労働者は、赤字を垂れ流す「負債」となります。日本国内でモノを生産しても競争に負けます。


そして単純労働に関して言えば、中国人だろうが、インド人だろうが、日本人だろうが、それほど大きな価値生産性の違いはありません。もちろん、前世紀の日本人は、単純労働といえども、そのモラルの高さ、真面目さ、勤勉さは、世界的にも突出していました。しかし、真面目に働くことで信用を積み重ねるメリットは、しだいに世界中で理解されてきており、中国、ベトナム、インドがいい例です。


日本が高度経済成長期にあったころ、日本人の多くは、モラルの低い中国、ベトナム、インドの労働者は使い物にならないと考えていました。しかし、現実は違いますね。高いモラルで働けば豊かになれると理解した発展途上国の労働者のモラルは、みるみる向上し、使い物になるどころか、先進国の労働者を脅かすほどの良質な労働力になっていったのです。


供給が過剰で価値が低くなり、人の欲しがるものを提供できず、そして人を幸せにするような労働を提供できなくなった今。かつて日本人が持っていた優位性は、完全に無くなりました。


こうして、いまや、単純労働者の生み出す価値は、世界中どこでもさほど変わらなくなったにも関わらず、単純労働者の消費する生活コストは、大きな格差が生じています。


発展途上国の単純労働者の生活インフラは、クローバル経済の恩恵により、以前に比べれば幾分豊かになったものの、日本のような過剰な贅沢からは、依然としてほど遠いものであるからです。



(過去の成功体験にすがる人々)

そんな時代においてロートル連中は、過去に成功したビジネスモデルしがみつき、旧来の方法に固執します。それは真面目にコツコツ働きさえすれば、いつか生活は楽になり輝かしい未来が築けると説く幻想を教示する「マジメ教」です。そんなロートル連中が今の若者達の上司であり、さらには経営に携わっているから悲劇です。


時代は少しずつ大きく変化しています。


そんな人のもとで、いくらコツコツと真面目に働いても生活は改善されず、むしろ悪化しているようにさえ思えます。彼等も「努力さえしていればいつかは報われる」という事が、「今は幻想であるのではないか」と薄々感づいているはずです。


そこで、もう昔のようにならないと感じているから、「オンリーワンでいよう」「競争ばかりではダメ」など、半ば諦めにも似た台詞が、世間で幅を利かすようになったのかも知れません。


現在の日本は、特別な国では無くなってしまいました。単に労働者の生活コストが高いだけの、コモディティ化された商品しか生み出せない国です。


そこには、算出付加価値を高める方向に目を向けられていない。楽に早く生み出そうとする気持ちもない。


努力しても、向かう方向を間違えていては、絶対に報われないのに。


「簡単に楽に」は、労働生産性を向上させる手段です。「簡単に楽に」を考えないといけない。


「簡単に楽に儲かるうまい話などない」と思われるでしょう。しかし、実際にあります。自分の耳に入らないだけです。本当はあるのに、自分が見たことも聞いたこともない世界は、その人にとって無いに等しいものなのです。だから、無いものだと判断するしかない。



(学校の教師だけでは物足りない教育)

ビジネスの正否は、


・人が欲しがるモノ


・しかもまだあまり供給されていないモノ


・低コストで先に提供できるモノ


・既得権益の上で行うモノ



需給バランスと生産性の組み合わせであり、これで決まります。だから上記に当てはまらないコモディティ化したものは、いくらコツコツ努力しても大きな収益が見込めません。


今でも学校では、「真面目にコツコツ」「努力さえしていれば報われる」と教えているのでしょうか。確かに、資格や免許を取得するためなら通用するでしょう。しかし、ビジネス上において努力の仕方や生きていく術は教えてくれませんよね。


いえ、教える事ができないと言う方が正しいでしょう。理由は簡単です。学校以外の世界や原理を知らないからです。


教員免許を取得した教師は、大学を卒業してすぐに教壇に立ち授業を行います。ビジネスの経験はゼロに近いのにも関わらずです。学校の先生になるための方法なら、教える事ができるでしょうが、これではビジネス上で生きていく術は教えられません。


人は、経験していない物事を教えることは出来ないからです。上辺だけなら可能かもしれませんが、血となり肉となるような教えはできません。


だから私はいつも思うのです。


学校の授業で週に一コマくらいは、中小企業経営者の話を聞いてもいいのではと。


そして、親にも責任があります。いつまでも「学校の勉強をキチンとしろ!」とばかり言っていないで、将来、自分で食べていけるスキルや情報を教えられる師匠にならないといけません。


魚を与えるのではなく、魚を釣る方法を教える。そうしないと、自分の子供が格差社会の底辺で喘ぎながら生きることになります。親としてそんな子供の姿など、見たくはないですよね。



(最後に)

世の中には、有利な立場と、不利な立場が厳然として存在しています。それを親が子供にキチンと教える。それが出来ないと格差は広がるだけです。またそうやって、格差は継承され固定していくのです。


世の中には、有利な立場と不利な立場が厳然として存在します。子供達には厳しい現実でしょう。でもそれが今私達が生きている社会であることは、紛れもない事実なのです。


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2017年05月19日

「金持ち喧嘩せず」は、経済的損失を回避するためだった

「時間は万人に平等にある」とよく言われます。


「金持ちにも貧乏人にも平等なものがある。それは時間」だとね。


しかし、そうではありません。


同じ1時間でも、金持ちの方が貴重です。


というのは、時給で考えるとわかります。


貧乏人の日給が1万円で、金持ちの日給が10万円だとすると、同じ裁判を争った結果、両者ともに100万円を得たとします。


すると貧乏人は、100日働いた結果と同じ不労所得になり、これは大金です。一方の金持ちは、たった10日分にしかなりません。


さらに金持ちの争った裁判が11日以上かかったとすると、それは行う意味のない裁判になります。何もしない方がマシです。


喧嘩しないのは、そういうものに煩わされる無意味さを理解しているからです。


そんなものに拘るうちに、得られるはずだった利益を逃すことになりますからね。


自分が稼ぎ出す時給と実行しようとする行為に対し、時給の方が高いと判断する時は、不毛な議論や争いに時間を費やすのは愚かな行為だと思えるはずです。


自己のプライドや世間体を気にするなら別ですが、それ自体が何ら生産性のないつまらないものです。


そんなものは、某国のミサイルと一緒に宇宙の彼方へ飛ばしてしまいましょう。


金持ちマインドを持つ。


決して、収入の多寡だけではありません。


心も同じです。

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