2017年05月24日

日本人は働きすぎ!?

日本人は働きすぎなのでしょうか。いやいや違いますよ。反対に、働かなくなっています。


データブック国際労働比較2016 一人当たり平均年間総実労働時間


労働時間は短くなっていますが、「労働生産性が低いのは、日本人の働き方が非効率だから」というのは全くの誤解です。


現状のまま、いくらシステムを入れてもダメ。アニマル浜口のように「気合いだ〜」は、もちろんダメ。


国は労働時間の短縮や残業時間の見直をせまり、おまけに豆腐の値段にまで口を出す始末。でもそれって違うんじゃないの?

 


(成長が止まった日本)

日本の労働生産性が低いのは、算出付加価値が低いから。すなわち、成長が止まったからです。


労働生産性は、産出付加価値÷労働投入量(労働時間)で算出されます。


かつての日本は、物作りの国として他国から重宝がられ、作れば作るほどモノが売れました。作る国がなかったからですね。労働投入量に対し、算出付加価値が高かったからです。だから儲かりました。


でも今は違いますよ。日本のお家芸であるモノ作りを、他国が奪ってしまいました。


それでもかつて成功したモデルにすがり、モノ作りに固執しています。


そうなると、今では他国との価格競争に陥ります。それでも競争力を維持するため、労働投入量にメスを入れます。算出付加価値が低い中で利益を確保するために、人件費カット、人員整理、長時間労働を強います。


それでも、働く人はの所得は上がりません。算出付加価値が低いままだから、ますます疲弊するだけです。


高度な知識労働による付加価値のない、単なる物作りは、極限までコモディティ化が進んでおり、それでは利益が出ない状況になっています。つまり、物理的な原材料を加工して製品やサービスにするという行為それ自体では、利益なんて出やしないのです。



(生活コストの高い日本人)

さらに日本は生活水準が高く、それを維持するためには、ある程度お金必要です。単に生きているだけで、一人当たりにかかるコストが高いのです。当然、同じモノやサービスを生み出すための原価は高くなります。


中国やインドの単純労働者が、利益を生み出す「資産」であるのに対し、日本の単純労働者は、赤字を垂れ流す「負債」となります。日本国内でモノを生産しても競争に負けます。


そして単純労働に関して言えば、中国人だろうが、インド人だろうが、日本人だろうが、それほど大きな価値生産性の違いはありません。もちろん、前世紀の日本人は、単純労働といえども、そのモラルの高さ、真面目さ、勤勉さは、世界的にも突出していました。しかし、真面目に働くことで信用を積み重ねるメリットは、しだいに世界中で理解されてきており、中国、ベトナム、インドがいい例です。


日本が高度経済成長期にあったころ、日本人の多くは、モラルの低い中国、ベトナム、インドの労働者は使い物にならないと考えていました。しかし、現実は違いますね。高いモラルで働けば豊かになれると理解した発展途上国の労働者のモラルは、みるみる向上し、使い物になるどころか、先進国の労働者を脅かすほどの良質な労働力になっていったのです。


供給が過剰で価値が低くなり、人の欲しがるものを提供できず、そして人を幸せにするような労働を提供できなくなった今。かつて日本人が持っていた優位性は、完全に無くなりました。


こうして、いまや、単純労働者の生み出す価値は、世界中どこでもさほど変わらなくなったにも関わらず、単純労働者の消費する生活コストは、大きな格差が生じています。


発展途上国の単純労働者の生活インフラは、クローバル経済の恩恵により、以前に比べれば幾分豊かになったものの、日本のような過剰な贅沢からは、依然としてほど遠いものであるからです。



(過去の成功体験にすがる人々)

そんな時代においてロートル連中は、過去に成功したビジネスモデルしがみつき、旧来の方法に固執します。それは真面目にコツコツ働きさえすれば、いつか生活は楽になり輝かしい未来が築けると説く幻想を教示する「マジメ教」です。そんなロートル連中が今の若者達の上司であり、さらには経営に携わっているから悲劇です。


時代は少しずつ大きく変化しています。


そんな人のもとで、いくらコツコツと真面目に働いても生活は改善されず、むしろ悪化しているようにさえ思えます。彼等も「努力さえしていればいつかは報われる」という事が、「今は幻想であるのではないか」と薄々感づいているはずです。


そこで、もう昔のようにならないと感じているから、「オンリーワンでいよう」「競争ばかりではダメ」など、半ば諦めにも似た台詞が、世間で幅を利かすようになったのかも知れません。


現在の日本は、特別な国では無くなってしまいました。単に労働者の生活コストが高いだけの、コモディティ化された商品しか生み出せない国です。


そこには、算出付加価値を高める方向に目を向けられていない。楽に早く生み出そうとする気持ちもない。


努力しても、向かう方向を間違えていては、絶対に報われないのに。


「簡単に楽に」は、労働生産性を向上させる手段です。「簡単に楽に」を考えないといけない。


「簡単に楽に儲かるうまい話などない」と思われるでしょう。しかし、実際にあります。自分の耳に入らないだけです。本当はあるのに、自分が見たことも聞いたこともない世界は、その人にとって無いに等しいものなのです。だから、無いものだと判断するしかない。



(学校の教師だけでは物足りない教育)

ビジネスの正否は、


・人が欲しがるモノ


・しかもまだあまり供給されていないモノ


・低コストで先に提供できるモノ


・既得権益の上で行うモノ



需給バランスと生産性の組み合わせであり、これで決まります。だから上記に当てはまらないコモディティ化したものは、いくらコツコツ努力しても大きな収益が見込めません。


今でも学校では、「真面目にコツコツ」「努力さえしていれば報われる」と教えているのでしょうか。確かに、資格や免許を取得するためなら通用するでしょう。しかし、ビジネス上において努力の仕方や生きていく術は教えてくれませんよね。


いえ、教える事ができないと言う方が正しいでしょう。理由は簡単です。学校以外の世界や原理を知らないからです。


教員免許を取得した教師は、大学を卒業してすぐに教壇に立ち授業を行います。ビジネスの経験はゼロに近いのにも関わらずです。学校の先生になるための方法なら、教える事ができるでしょうが、これではビジネス上で生きていく術は教えられません。


人は、経験していない物事を教えることは出来ないからです。上辺だけなら可能かもしれませんが、血となり肉となるような教えはできません。


だから私はいつも思うのです。


学校の授業で週に一コマくらいは、中小企業経営者の話を聞いてもいいのではと。


そして、親にも責任があります。いつまでも「学校の勉強をキチンとしろ!」とばかり言っていないで、将来、自分で食べていけるスキルや情報を教えられる師匠にならないといけません。


魚を与えるのではなく、魚を釣る方法を教える。そうしないと、自分の子供が格差社会の底辺で喘ぎながら生きることになります。親としてそんな子供の姿など、見たくはないですよね。



(最後に)

世の中には、有利な立場と、不利な立場が厳然として存在しています。それを親が子供にキチンと教える。それが出来ないと格差は広がるだけです。またそうやって、格差は継承され固定していくのです。


世の中には、有利な立場と不利な立場が厳然として存在します。子供達には厳しい現実でしょう。でもそれが今私達が生きている社会であることは、紛れもない事実なのです。


posted by ヨッシー at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月19日

「金持ち喧嘩せず」は、経済的損失を回避するためだった

「時間は万人に平等にある」とよく言われます。


「金持ちにも貧乏人にも平等なものがある。それは時間」だとね。


しかし、そうではありません。


同じ1時間でも、金持ちの方が貴重です。


というのは、時給で考えるとわかります。


貧乏人の日給が1万円で、金持ちの日給が10万円だとすると、同じ裁判を争った結果、両者ともに100万円を得たとします。


すると貧乏人は、100日働いた結果と同じ不労所得になり、これは大金です。一方の金持ちは、たった10日分にしかなりません。


さらに金持ちの争った裁判が11日以上かかったとすると、それは行う意味のない裁判になります。何もしない方がマシです。


喧嘩しないのは、そういうものに煩わされる無意味さを理解しているからです。


そんなものに拘るうちに、得られるはずだった利益を逃すことになりますからね。


自分が稼ぎ出す時給と実行しようとする行為に対し、時給の方が高いと判断する時は、不毛な議論や争いに時間を費やすのは愚かな行為だと思えるはずです。


自己のプライドや世間体を気にするなら別ですが、それ自体が何ら生産性のないつまらないものです。


そんなものは、某国のミサイルと一緒に宇宙の彼方へ飛ばしてしまいましょう。


金持ちマインドを持つ。


決して、収入の多寡だけではありません。


心も同じです。

posted by ヨッシー at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月15日

マーケティングについて考えてみました

マーケティングで絶対成功する方法はないと思いますが、失敗する確率を低くすることは可能だと思われます。


人が商品やサービスを買うとき、何を基準に買うのでしょうか。少しでも安いもの、機能性のいいもの、デザインがいいものなど、基準は人それぞれにありますよね。ある人によって良いものでも、他人から見れば何の価値観すら見いだせないものもありますからね。


そもそも、同じモノでも人により価値観や判断基準は違いますから、全員にリーチできる商品やサービスを提供するのは不可能です。


例えば、「ももいろクローバZ」。ファンにとっては魅力的でしょうが、私にとってはただの人です(ファンの方ごめんなさい)。個人の名前すら知りません。おじさんになった証だと思いますが、みな同じ顔に見えます。その辺でアホ面下げてうろうろしている女子高校生と何ら変わりません。


価値観は人それぞれにあるからです。


では、なにを基準にして、モノやサービスは売れるのでしょうか。


それは、人が欲しいのは、購入した後に得られる想像したとおりの結果です。


たとえは、高級スポーツカーの代名詞であるフェラーリ。あの車、日本の公道を走るにはオーバースペックです。駐車場に困るし、車にいたずらされないかと、いつもドキドキしていなければなりません。小心者の私がこんなもの手に入れは日には、夜もおちおち眠れないでしょう。睡眠不足でアクセルとブレーキを踏み間違えて、コンビニの店舗に突っ込むかも知れません。


いらぬ心配や面倒は増え、おまけに高額です。しかし、富裕層に売れています。


なぜならば、そこには所有する喜びがあり、運転している自分の姿を想像しているからです。


街中で爆音を轟かせフェラーリを乗っていると目立ちます。人々は羨望の眼差しで見てくれます。「おれは成功者だ」「見ろ、こんな高級車を乗っているのだぞ」と、世間にアピールできます(下品な運転する人もいますけどね。あの車は制限速度を守り、ジェントルに走らせるのが大人です)。


買うときに、人々の羨望を集められるその姿を想像しているのです。


どんなに磯野浪平並みに髪の毛が薄くても、布袋様の様に醜く下腹が出ていても、お笑い芸人の井上裕介さん(ごめんなさい)の様に顔がブサイクでもいいのです。


本人は大満足していますから、マーケティングとしては大成功です。更に求めていた、所有する体験も出来るという訳です。


「ももいろクローバZ」だって、ステージで歌う彼女達の姿を見るという体験が出来て、幸せな気分に浸れます。決して所有はできませんけどね(時々独占欲が強い人が事件を起こします)。


いくらいいモノやサービスでも、そこから得られる結果の想像力を掻き立てられないと売れません。


そして、想像したとおりの結果が得られると考えたときに、報酬が支払われます。


よくできた経営者が言うセリフ「お金は後からついてくる」がこの考え方だと思います。


いいモノを作れば売れるのは間違いです。それは当たり前田のクラッカーです(古い)。


世間には似たような多くの商品やサービスが転がっているからです。想像した通りの体験が得られるモノやサービスの提供がいかにできるか。提供する側も、モノやサービスの向こう側にある得られる結果にまで視点を広げ、市場にリーチしないと売れません。


それと、自由市場においては、誰かが他の人を幸せにするような仕事をした者に報酬が支払われるのであり、自分を幸せにするために仕事をした者に報酬が支払われる訳ではありません。


あなたが提供したモノやサービスに対して報酬を支払うのは、あくまでそれによってメリットを受けた人達なのです。自分以外の誰も幸せにできなければ、一体誰が対価を支払うのでしょうね。


さらに、たとえ人が欲しがるものであっても、それがすでに世の中に溢れているものだったら、それを提供しても、誰も幸せになりません。今からマスマーケティングに弱者が参入しても、食べていくのが精一杯の消耗戦になります。これでは勝ち目はありませんね。消耗戦を戦い最後は死ぬだけです。今からショッピングサイトの市場に参入し「amazon」に勝てますか?細々とやるなら別でしょうけど。


多くの人が欲しがるモノやサービスでありながら、それを提供できる人間が少ないような価値あるモノやサービスが提供できなければ、報酬は期待できません。更には、将来に渡りモノやサービスが提供し続けられるスキルを身につけることも必要ですね。



posted by ヨッシー at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月04日

ネガティブな思考を排除しよう

「お金がない」と言うのは、作る努力をしていないだけ。


「時間がない」と言うのは、生活習慣を変えていないだけ。


「機会がない」と言うのは、自ら行動していないだけ。


「簡単ではない」と言うのは、初めから諦めているだけ。


「経験がない」と言うのは、自ら経験を積む機会を潰しているだけ。


「分からない」と言うのは、まだ自分が踏み入れる余地がある領域を見ていないだけ。


「今すぐできない」と言うのは、ただ問題を先送りしているだけ。


「やる気が出ない」と言うのは、本気でやりたいと思っていないだけ。


「貴方のようになれない」と言うのは、自分を生かしていないだけ。


「変われない」と言うのは、現状を失いたくないだけ。


「人脈がない」と言うのは、今いる人との付き合いを止めたくないだけ。


「嫌われたくない」と言うのは、偽りの自分を演じていて自分に素直でないだけ。


「好きになれない」と言うのは、他にあるいい部分を見ていないだけ。


「資産がない」と言うのは、考える力を鍛えていないだけ。


「世の中は甘くない」と言うのは、他人が創った世界に服従しているだけ。


「挑戦できない」と言うのは、決断できないだけ。


「決断できない」と言うのは、失敗を怖れているだけ。


「失敗を怖れできない」と言うのは、後悔したくないだけ。


「後悔したくない」と言うのは、挑戦したくないだけ。


「全て自分は悪くない」と言うのは、自分の人生に責任を持たず、他人や社会に責任転嫁しているだけ。


全ては自分を正当化する言い訳に過ぎませんね。才無き者は努力しています。無い無い尽くしでその努力を怠る人は、死ぬほど頑張っている者に勝てません。これは当たり前です。死ぬまでに一度くらいは、死ぬくらいの努力をすべきでしょう。


新たな挑戦に成功は保証されていませんが、成長だけは保証されています。


幸福や不幸は、所詮結果論です。死ぬ間際になり、「あの時は良かったな」と思うものです。


今が大変で苦しくても振り返ってみたら「あの時やっておいて良かったな」と、言いたいものです。


posted by ヨッシー at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月28日

「イワンのばか」をどう読むのか?

「イワンのばか」という物語は何を語っており、これをどう読むのでしょう。


言葉どおり、「虚偽」「洗練」「冷酷」「裕福」「不労」ということよりも、その対にある「正直」「素朴」「温厚」「貧困」「勤労」の者の方が偉く尊いと言うのでしょうか。いま、世の中のリーダーシップを取り、人々を効率的に使い世界を動かしているのは前者であり、現代社会において後者は前者に負けてしまいます。


後者は前者に比べて自分の不遇さ認めながらも、どこかで認めたくない気持ちがあり、その表れとして「恨み」「妬み」「つらみ」「怒り」「恐れ」を知らず知らずのうちに持つことになります。


人々が神を信じ神をあがめているのも、人々が強者への怨念を隠しもっていて、それを晴らしてくれる超越存在を欲しており、その世界の中で強者は「悪」弱者は「善」の二元論で構成されるようになり、弱者はそこで心の安らぎを得ることになります。

 

物語の中で、「悪」である強者の声は弱者にとって雑音にしかすぎず、何を言っているのか言葉の意味さえ理解できません。しかし、打算的、保身的、戦略的思考に長けていることが大人には求められます。きびしい競争世界では、それらを身に着けていないと生きていけません。


「イワンのばか」を子供に読み聞かせるとき、イワンの王国の掟通り「働いて手にタコがある者だけ、食べる権利があり、手にタコのないものは、そのお余りを食べよ」と手を使い働くことの尊さ教えるのが正しいのか、それとも悪魔が言うように、「手で働くより、頭を使って働けば楽をして儲けることができる」のが正しいのかどちらでしょうか。


更には、もうこの物語のような世界観は終わりをつげ、人々が現代社会で生きるにはあまりにも幼稚過ぎるのでしょうか。



人はいかに生きるべきか。人の世はいかにあるべきか。


ニーチェは、人間の道徳を二つの類型に分けています。それは、支配者道徳と奴隷道徳です。人間というのは支配する立場(価値の創造者としての権威)に立つものと、支配される立場(支配者の付属物で自立していない)に立つものとに必然的に別れるのだとする見方です。


奴隷たちにとって「支配者は悪人であり、善人とは支配される自分たちのことである」と奴隷道徳は言っています。しかし、人類を向上させてきたのは、善人である奴隷たちではありません。人類を向上させてきたのは、悪人である支配者です。


人々が置かれたポジションにより、同じものでも「善」となり「悪」にもなります。どちらも正しく誤りでもあります。正解を導くことは誰にもできません。


では、これを子供達に教えるときは、どのようにすればいいのでしょうか。イワンと悪魔の考え方を両方教えて、あとは考えて貰うしかないでしょうね。


今の日本に必要なのは、社会全体を引き上げていくべき役割が期待される支配者なのかもしれません。


        51R719R36VL.jpg

posted by ヨッシー at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月22日

稼ぎ力は幼児期から身に着ける

学校では卒業の後、入学シーズンが始まります。そのような華やかな季節に水を差すようで悪いのですが、今の学校教育は時代遅れのように思えます。


今の学校教育は、高度成長期に実施された労働集約型産業にはもってこいでしょう。しかし、時代は大きく変化しています。多くの人が同じ場所に集まり同じ仕事をするような時代ではなくなりつつあります。


その証として、かつては日本のフラッグシップだった大手企業も、会社規模の縮小や事業からの撤退を余儀なくされています。なるべく組織に属さず自立していかねばならない時代です。


そのような時代の変化の中、現在学校で行われている暗記主体の教育では「自立する手段の確保」はできないかも知れません。


学校の先生から出された問題は必ず答えがあります。その仕組みの中で正しく答えられればそれで良しとします。そこでは、点数が高いほど優等生として扱われます。これは受動的な教育です。しかし、社会人になるとどうでしょうか。予想しない問題が、突然身に降りかかります。そこには正しい答えなどなく、幾通りも存在します。自分が導き出した答えが正しければ、社会人としてそれなりの結果(高い収入や地位)を得る可能性が高まります。もし誤っていれば、その反対になる可能性が高まります。


では、正しい答えを誰かが教えてくれるでしょうか。いえ、誰も教えてはくれません。自分で失敗しながら経験値を積み、自分にとって正しいだろうと思われる答えを導き出すしかりません。それも能津的にです。


学校では生きていくための方法である、「起業する方法」「金融機関から融資を受ける方法」「退職金の運用方法」「効果的な節税方法」など、教えてはくれません。現在の教育では、このように「本質的に考える力」が身に付かないことが問題です。


そして「本質的に考える力」は幼児期の早い段階で実施することです。一部例外はあるかも知れませんが、30歳、40歳、50歳になってからでは遅いのです。プロスポーツ選手は、幼児期から英才教育を受けています。その結果、高レベルな技術を習得できたのです。


これは人生にも言えることですが、生きる力を養い「稼ぎ力」を身につけるには、幼児期からの早い段階で「本質的に考える力を身に着ける教育」を行わないと厳しいのかも知れないのです。


今日の所得格差は、学校教育にも問題の一端があるのではないでしょうか。


posted by ヨッシー at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月14日

非効率な飛び込み営業

飛び込み営業では、新しいお客様のところへいきなり訪問し営業をします。


この営業方法は、営業する側もされる側も精神的苦痛は大きくなります。私にも経験はありますが、相手の機嫌が悪い時に遭遇すると、いきなり罵倒されます。


「帰れ!バカヤロー!」と、まるで虫けらでも扱うように。


これは本当の話です。人格まで全否定された気分になり、さすがに落ち込みます。


相手の立場を考えれば、そりゃそうですよね。冷静に考えると、パンフレットを置いて帰るだけならいいですが、いきなり商品やサービスの説明をされる訳です。いい気持ちはしませんよね。


そもそも、パンフレットを置いて帰るだけなら、わざわざ飛び込み営業しなくてもいいのではないでしょうか。自分が伝えたい情を相手の手元へ確実に届けることが目的ですなら尚更です。


そう考えると、郵送やメール便で発送する方法は確実ですね。


しかし、いくら郵送やメール便と言えど、いくらかのコストは発生します。なるべくなら効率的に行いたいものです。



そこで私は、アプローチしたい相手をセグメントする方法をとっています。セグメントは、購入者年齢性別職業などによって行われる区分です。


例えば、頭痛薬を販売したいと考えた時に、不特定多数に宣伝して効果があるでしょうか。


頭が痛くない人は買いませんよね。


実際に、頭痛薬が欲しいと思う人は、いま、頭痛で苦しんでいる人だけです。


いくら頭痛に悩まされていない人にアプローチしても、販売に結びつかないのは明らかです。


闇雲にアプローチしても、販売に繋がる保証はないのです。


では、どうするのか?


アプローチする相手を頭痛薬が欲しいと思われる人だけにセグメントをしたら、自分が相手の立場になり魅力的だなと思うキャッチコピーを作り、アプローチするのです。


因みに、最近の結果をご報告いたします。



廃棄物のリサイクル

20件発送→2件成約  反応率10%


除菌消臭液

36件発送→1件成約  2.8%


生ゴミ処理機

10件発送→1件商談中  反応率10%



この結果を見て、効果的かどうかを判断するのはあなた次第です。


少なくとも私にとって、飛び込み営業に比べて、必要最小限の経営資源投下で最大限の結果を得ることができました。


発送後何もしていません。問合せがあった時に初めてご説明するだけです。


お断りしておきますが、発送先に「資料は届いておりますでしょうか」や「ご覧いただいて如何でしょうか」と確認するのはご法度です。


気持ちは分かりますが、これは嫌がられます。これは、受け取る側の立場になれば明確です。


会社には、日々多くのダイレクトメールが届いています。その多くは、ゴミ箱やシュレッダーに直行です。なぜならば、受け取る側は必要性を感じていないからです。


これはアプローチする相手やセグメント化の失敗によるものです。しかし、それに負けてはいけません。こんなことは、当たり前にあります。


私も受取拒否され、発送したダイレクトメールを返送された経験があります。


あなたにも、一度くらいはゴミ箱に直行したことあるでしょう。こちらから発送するダイレクトメールだって同じことですよね。普通にゴミ箱へ直行です。


全く興味のない内容で、名前すら知らない会社から発送されたものです。自分が受け取る時はゴミ箱へ直行し、反対に自分が送りつける時は、反応してくれないと嘆く。これでは余りにも自己中心的です。


期待する方が間違っています。


運やタイミングの要素もありますが、発送した相手から反応がなければ、大方それは必要性を感じていないからなのです。もし必要性を感じたなら連絡をくれます。


人々が商品やサービスを求めるのは、それらを介して必要な結果を得たいからです。頭痛薬なら「頭痛を取り除きたい」のが求める結果であり、頭痛薬はその道具にすぎません。


あくまで商品やサービスによりもたらされる結果にフォーカスしていないと購入してもらえません。


人は結果が想像できない、すなわち必要性を感じないものには反応しませんからね。ここを理解しないと無駄な労力ばかり費やすことになります。


もし反応がなければ潔く諦め、作戦を練り直し次の相手を探しましょう。



人々が欲しがっていた物を欲しい時に届ける。長年の頭痛に悩まされている人に対し、頭痛薬を届けられるアプローチができれば最強ですね。しかし、ここが難しいところです。


一番いけないのは、頭痛薬が欲しくもない人に無理に売ろうとすること。押し売りされるのは誰でも嫌ですよね。自分がされて嫌なことは相手も嫌なのです。



市場の反応は正直です。


ゲーム上や机上理論ではなく、その正直に反応してくれる市場で反応を試してみる。


これほどダイレクトに、自分が試す方法を実証できる方法は他にありません。間違っていれば叩きのめされ、正解であれば果実を得る。まさに経営の醍醐味ですね。


最後になりますけど、決して我々は大企業が行うようなマスマーケティングを真似てはいけません。多額の資金回収が見込める反面、多額の投資が必要になりますし、あれは市場で大きなシェアを持つ会社がやることです。


自分に合った戦略を選ぶことが大切です。

posted by ヨッシー at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月07日

アクアウィッシュによる臭気対策

もクアウィッシュの納品に、長野県某所へ行ってまいりました。こちらの企業は、ハウスクリーニング業を行われており、提供しているサービスに付加価値をつけるため、アクアウィッシュの採用を決定いただきました。


納品の際に客観的な効果を実感していただくため、「ハンディ臭気モニター」を用い、臭気の度合いを測定をしてみることにします。


臭いの感じ方は官能的部分に依存する度合いが大きく、同じ部屋の臭いでも感じ方に個人差があります。そこで本機器を用いることにより、臭気を数値化し客観的に判断してもらうことができます。



先ずは、アクアウィッシュ噴霧前の数値。
 IMG_2188.JPG


そして、超音波噴霧器で約30分間アクアウィッシュを噴霧します。
 IMG_2189.JPG


噴霧後の数値を測定します。
 IMG_2190.JPG


見事に数値が下がりました。部屋の中はもちろんですが、車の室内も同じ結果を得ることができます。この結果により、臭気に対する効果があることを客観的に証明することができました。


もちろん、いい結果を得られてお客様もご納得の様子です。これは本物です。


posted by ヨッシー at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年02月27日

車内の除菌・消臭デモを実施しました

先週末に、長野県内の某自動車販売店様にて、アクアウィッシュによる除菌・消臭デモを実施してまいりました。


対象車両は「日産キューブ」です。まず、車内の状態を確認しますが、中古車特有の臭いが充満しており、決して心地いいものではありません。タバコと汗と体臭?が入り混じった複雑な臭いです。車内に雑菌が繁殖しているからでしょう。


その車内に噴霧器をセットして稼働させます。その際は、エンジンをかけてエアコンを内気循環にしておきます。


そして、待つこと20分。自動車販売店の方々に確認していただきます。結果は上々で、嫌な臭いが改善されたと実感していただけました。やはり、この商品は本物です。


気になるランニングコストも低額で、30分間霧化量を最大にしても約30円程度です。

     IMG_2152.JPG


posted by ヨッシー at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年02月22日

会社設立からやっと10年


小社の設立は、2007年3月1日です。早いもので、今月の決算で10年を迎えることができました。


当初の目標は10年間会社を存続させることでしたが、皆様方のお陰を持ちまして、設立時の第一目標はクリアできました。


10年間も同じ仕事をやっておりますと、膨大なトラブルが発生し、それを処理し幾度も危機的状況に陥りながら、様々な人達との出会いの中でノウハウが蓄積されていきます。


継続という意味において、一定の成功は収められたのではないかと自負しております。


私は75歳まで働くつもりでおりますが、そうなると残りあと20年です。会社も30年を迎えることになる訳ですが、そうなれば自分の人生において、大きな誇りになる気がします。あと20年間、日々精進いたします。

posted by ヨッシー at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記