2015年06月03日

中島義道氏の著書を読んで


私の好きな哲学者の「中島義道」さんは、作家でもあります。流石、中島氏ですね。この本の中でも、相変わらず衝撃的で歯に衣着せない物言いは健在です。


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この本の、“はじめに”の部分をご紹介いたします。



あとわずかの命 
それは今夜かもしれず。明日かもしれず、明後日かもしれず、一週間後かもしれず、一年後かもしれず、10年後かもしれず、運のいい人は50年後かもしれない。しかし、あなたは確実に死んでしまう。あなたはこの地上ばかりか、この宇宙の果てまで捜してもいなくなる。そして生を受けたこのチャンスはただ一度限り。もう二度とあなたが生きることはない。こうした残酷な状況の中で、ではあなたは何をすべきなのだろうか?生きるかぎり、働かなければならないとすると、どのような仕事をすべきなのだろうか?


あらためて文字にしたものを読むと衝撃的内容です。当たり前のことを書いていますが、多くの人は生きている日々の中で死と向き合いもせず、忘れようとすらしています。



生産性の無い仕事に満足せず偉そうにしている役人も、立法すら出来ない政治家も、スキャンダルまみれの芸能人も、日々不安定な労働条件に置かれている派遣労働者も、従業員をモノ扱いしている会社経営者も、上司に叱られてばかりいる会社員も、社内ルールの下、部下を叱りつけるその上司も、鼻をほじりながら三流週刊誌を読んでいる人も、人の批判や悪口ばかり言っている人も、天才的画家や音楽家も、ノーベル賞を受賞した学者も、バカンスを楽しむ富裕層も、これを書いている私も、皆が確実に死にます。



日々成長するため努力し生きてきた証を残しても、たかが数百年、数千年の間でしか残りません。地球の寿命でさえ永遠のものでない以上、これは当たり前の事実です。



英イースト・アングリア大学で惑星に於ける居住性を研究している、“Andrew Rushby”氏がはじき出した人類が地球上で生きていける時間の答えは、泣いても笑っても長くてあと325千万年、最短では175千万年しか残されていないと言っているそうです。



我々が残してきた、貴重で価値ある素晴らしい(人類がそう思っているだけ)生きてきた証である、文化的財産や遺産だって確実に消えてなくなります。最先端の科学技術をもってしても、決して抗うことのできない事実なのです。



アランは幸福論の中で、「自分の仕事に生きがいや幸せも見出すためには、自分の携わっている仕事が如何にして世間の役に立っているかという視点で物事を捉える考えにより人は幸福でいられる」と、言っていたと記憶しておりますが、それでも地球や宇宙の寿命レベルで考えてみれば、とても小さなものに思えてきます。



とは言え、いくらこの事実を知っても、今の自分の人生や行動に意味を見出すなとも言えません。上述の文章はニヒリズムの考え方ですが、このニヒリズムにおいて私たちが取りうる態度は大きく分けて2つあります。



一つは、すべてが無価値ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度。もう一つは、何も信じられない事態に絶望し、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度があります。



生を終えれば(死)、全て無になります。人が生きる意味や価値など全く無く、絶対的価値や絶対的真理も無いこの世で、我々にただ一度だけ与えられた人生。



人は人類が創り上げた幻想の中で生きるしかありません。いまのところ積極的ニヒリズムで生きていく方が、私としてはしっくりきます。人生が無意味だっていいじゃないですか。その無意味を肯定して生きるのは、極めて健全的生き方ですね。



人生について最近いろいろと考えさせられます。





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2015年05月21日

女性の社会進出


国は「女性の継続就業〜全員参加型の社会を目指して」と題し、急速な少子高齢化が進む中、全員参加型社会を目指す上で、女性の就業継続に影響を与える要因や仕事と家庭の両立支援の状況などについて分析・検討しています。ここでは、働く女性に関する厚生労働省の施策がまとめられています。



女性達の才能を活用すべきなのは確かで、素晴らしいスキルや才能が埋没している社会では、生産性の向上や経済成長のブレーキとなる可能性もあります。



しかし、埋もれている社会女性の社会進出の方法として、何も会社へ勤めるだけが対策ではありません。女性自身が起業するのも一つの方法です。



平成18年度版 働く女性の実情」によりますと、起業の目的別起業者割合は、


・自分の能力、技術、経験などを十分に発揮したい

・自分の裁量で仕事するため

・年齢や性別に関係なく仕事をするため

・より多くの収入を得るため

・社会に役立つ仕事・働きに応じた成果を得るため


などが目立ちます。



女性も男性同じく、何らかの形で社会に貢献し、自己実現を果たしたいと願う思いは同じだと言うことです。当然ですね。



そして、努力が実りめでたく起業した女性達のデータ「起業時・起業後の問題別起業者割合」もありました。こちらでは、


・開業後の資金繰りが上手くいかない

・仕入れ先や顧客の確保が進まない

・起業や経営の知識・ノウハウが不足

・人材の確保・育成ができない


切実な悩みです。


中には、


・相談相手や相談機関がない

・一人で活動する時間が長く、孤独を感じる


などもあります。



起業しても、資金面や運営において多くの問題や様々な悩みが生じてきます。一人で悶々としていても、いい知恵が浮かばない時もあります。同じ境遇にない人に相談しても、相談相手が経験不足で感情移入ができない人であれば、解決策を見出すことが出来ず相談する時間が無駄になる場合もあります。



でも、解決策は必ずあります。



「現在必要とするサービスや支援別起業者割合」のデータが示すとおり、ここにある問題について具体的解決策が提言できればいいのです。



女性の社会進出を加速させるためにどうするのか?起業後の問題解決について何を行うべきなのか?を考えてみた時に、このデータを読むことにより、何をすればいいのか見えてきます。



平成18年度版 働く女性の実情





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2015年05月15日

人口減少


私の実家は米原市(旧米原町)です。


実家に帰るといつも思うのですが、周りに空き家が増えてきています。若い人たちがどんどん便利な都市部へ移転し、かつて人が住んでいた家の周りも、今では住人のいない空き家ばかり。付近は、かつて私が幼少だった頃と大きく様変わりしております。


実家付近は、自然豊かな土地ですが、冬は雪が多く交通の便も悪く、車が無いと生活が困難な所です。


人はやがて歳を重ね高齢になります。高齢により体力が衰えると、病院の世話になる可能性が高くなります。そうなると、病院が自宅近にある方が便利ですから、交通の便がよい都市部に転居するのは合理的な考え方です。


そうした考え方の中、子育ても終了した老夫婦は、自己居住していた戸建ての物件を売りに出すことが多くなると聞きます。それでも首尾良く住居が売却できればいいのですが、売却できなければ放置されたままとなります。その間にも、外観や設備が時代遅れとなり、老朽化が加速され更に売り難くなっていきます。


高齢化の波は、住宅の無人化を加速させるのです。


ニュースを読むと、全国的にこの傾向が拡大している様子で、各エリアの都市部への集中が進む理由にも頷けます。どうやら、都市部への流入による地方人口の減少と高齢化は、避けて通ることはできないようです。


先日書きましたが、税金を投入した地域おこしで、この流れを押しとどめようという動きが見られますが、残念ながらほとんど効果は期待できないでしょうね。高度成長期ならこれでよかったのでしょうが、残念ながら今の日本は諸外国と比べ経済が成長しておりません。


分散した人口の集約化が進むことを前提に、インフラの再整備や少子化対策を行わないと手遅れになります。


一例ですが、滋賀県の人口動態を見れば明らかです。地方の人口が確実に減少していることが読み取れます。住めば都と良く言ったものですが、それは昔の話です。人間は一度便利さを覚えてしまうと後に戻れない生き物です。若者は勿論ですが、年を重ねれば重ねる程、利便性の悪い地域で居住するのが苦痛になります。


先日書いた、民間企業に対する税金投入による地域おこしの効果についても、滋賀県の人口と世帯数を見れば、効果が限定されるように思えてくるのは私だけでしょうか。




税金で徴収された富の再分配装置が非効率になってしまえば、再分配装置が存在する方が、国民全体として不利益をこうむる場合もあります。国も地方も財政が厳しいことに変わりはなく、支出の効率化が必要なのは言うまでもありません。


野放図に地方創生事業を拡大したツケが、将来世代に回ってこなければいいと願うばかりです。とても悲しい日本の現状がこちらからも読み取れます。





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2015年05月09日

人は誰のために努力するのだろう?


「人から褒められたい」「人から認められたい」という気持ちは、人々が持つ欲望の一つです。それについて書かれた、私の備忘録にあった以下の文章は、どなたが書いたものか失念しましたが、引用させていただきます。



「引用開始」 

「あいつかよくやっているな」「あの人はすごい人だ」「とても素敵な人だ」、と思われることを常に目指し、それを自分の原動力とする向きもあるようです。人々に認められることにより、頑張ることができるのでしょう。しかし、他人の受け止め方により、自分が頑張っていても人に認められないこともあります。


例えば、自分で目標としていた仕事が達成でき、自分ではよくやったという思いで三人の方に結果を伝えるとします。Aさんは、「よくやった、凄いね」と言います。Bさんは、「もう少しこうした方がよかったのでは?」言います。Cさんからは、「う〜ん、これではいけないね」と、三人三様の意見です。Aさんに認めて貰えましたが、Bさん、Cさんには認めてもらえなかったのです。


そこで今度はBさん,Cさんに認めて貰えるよう、更に努力します。やっとの思いで結果を残し、また同じ三人に報告します。しかし今度はBさんに認めて貰えましたが、Aさん、Cさんには認めて貰えなかったのです。そして、どうしていいのか分からなくなってしまいます。これではいつまで経っても自分で納得できず、苦労や苦しみが増えるばかりです。


第三者の承認を求め、その結果に一喜一憂していると、自分を見失います。一体、誰のために自分は努力するのでしょう。これでは、自分の人生が他人の評価を気にする、他人のために生きる人生になってしまいます。 「引用終了」



幸せの定義

人の意見ばかり気にしていると、いつまでも幸せは訪れません。幸せな自分でいるためには、他人と自分を比べるのをやめて、絶対的価値観の中で自分自身と闘う様にすればいいのです。


前記したように、他人と比べてばかりいると価値観を他人の承認や外的物資に求めてしまいがちです。その価値観を、自分自身の中に持つのです。そうすることにより、他人の意見や外的物資による基準はなくなり、比べる基準は自分の中にあるものだけになります。


自身と闘うのですから、自分の心に問いかけるため、自分の基準で判断できます。その結果、思い描いていた夢やモノが手に入ればそれでよしとするのです。幸せは人から頂戴し、人に求めるものでもありません。自分の中にあるのです。「自分自身で足ることを知る」。この言葉がぴったりです。


自分の基準で考えていれば、人は十分幸せになれます。これほど確実で信頼できる方法は、他にはないと思います。私は決して頑張るなとは言いません。努力している人に水を差すつもりもありません。しかし、努力すれば人は必ず報われるのでしょうか。いいえ、決して報われません。


様々な外的容易が複雑に絡み合い、どうしても抗うことのできないものは世の中に多く存在するのです。目標設定を誤っていれば尚更です。それでも頑張りたい人は頑張ればいいのです。目指している方向へ向かえばいいのです。しかし、どんなに頑張ってもフォーブスにでてくる大富豪になれる確率は低いと思うのです。


では、どこまで頑張るのか?どこを目標にするのか?その基準が曖昧だからこそ迷うのです。だから迷わないために、自分の中の基準を決めた方がいいのです。全て二元論で考えるのではなく、考えを調和させ自分で決めればいいのです。自分の内にあるものと対峙し、その結果として他人が認める形が一番理想的だと思います。


池田晶子さんの本の中(記憶は曖昧ですが)にも書いてありましたが、「あまり不幸でない」「我慢できる程度に生きている」、この考えはいいですね。悲しみと苦痛が少ない人生が、幸福だと言えるのです。


著書の中で運命という言葉が出てきますが、私は運命などないと思っています。生ある時に起こる出来事は、原因と条件による結果であり、最初から決まっているものではないと考えているからです。ですから、運命の言葉だけで片付けてしまうのは好きではないのです。でも、唯一運命と言えるものがありました。人が絶対に抗えない死こそ、人に与えられた運命だと言えるでしょう。どんなに嘆いていても、いずれ自分の死を迎えれば全て意味をなさなくなります。


誰のモノでもない自分だけの人生です。幸せの青い鳥はどこにもいません。自分が気付かないだけで身近にいます。どんなに自分探しをしても、自分はどこにもいません。いつも自分はここにいるからです。人に意見を求めても、最後に決めるのは自分です。他人は責任をもってくれません。より一番身近にいる自分に語りかけ、対話し決めるのが幸せの近道になるのでしょう。



必要以上に人と群れない生き方も素敵だ

人は同じような行動や考え方をする人々と群れようとする生き物です。同じ気持ちや生き方をしている人達の中にいると、とても安心するようです。


仲間がいると、自身にトラブルがあった時に心配してくれます。特別な日にお祝をしてくれます。寂しい時に一緒にいてくれます。仲間と同じ行動をし、同じ様な考え方を持つ人の中にいられるのは、とても気が楽で心が落ち着きます。


でもそれは、同調圧力に屈した生き方を選択しているのではないでしょうか。もし、反対意見や違う行動をしたいと思っても、仲間から嫌われたくないため、どうしても遠慮がちに接しなければならない時があります。何かを決める時も多数決により決定され、自身の意見がやりたいことが制約される可能性もあります。人は群れると自由がなくなり、窮屈な生き方をしなければならないのです。


人間は一人でいるときが一番自由です。鼻をほじろうが悪口を言おうが、「私は何て素晴らしく素敵な人だ」と、自身を褒めていても、誰にも咎められません。とても気が楽です。他人は自身と考え方が違うのは当たり前です。群れるのが苦しいと思うのなら、自分を犠牲にしてまで同調しなくてもいいのです。


ただし、この方法には反作用があります。それは非社交的になります。自分以外の人間に重きを置かないので、他人はどうでもよくなるからです。それぞれの人生です。他人の思考に強制されず、人と群れる生き方が好きな人は群れればいいです。嫌いな人は必要以上に群れなければいいのです。どちらを選択するかは、個々の考え方に委ねるしかありません。


いずれにせよたった一度きりの人生です。生きたいように生きましょう。


As life is short, we should live the way we want to. Whether we can succeed depend on what you do and what you think . Don’t complain and give it a try.  




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2015年05月07日

評論家は必要か?


起きてしまった結果に対し、「こうあるべきだ」「いやこうした方よかった」「こうしなければいけない」ああでもない、こうでもないと他人を批評し、もっともらしいことを言うのが評論家達。



そして時には、世論を特定の団体や企業の利益になるように誘導しようとさえします。更に卑怯だと思えるのが、自分で手を汚さず安全な場所から、無責任で抽象的な発言を繰り返すことです。



メディアに出演しているコメンテーターもその類で、コメントする問題の専門家でもない写真家や元スポーツ選手が、偉そうな顔をして他人を批判・批評しています。何の関係も無い連中のその様な姿や言葉を、私は見たくも聞きたくもありません。



どうしてもコメンテーターが必要ならば、その道で活躍している人々を呼べばいいのです。そうでないならば、私見だと断ってから話して欲しいですね。



ある経済評論家はこう言っていました。「企業が生き残るためには、イノベーションを起こせばいい」「それまでのモノや仕組みなどに対し、全く新しい技術や考え方を取り入れ新たな価値を創造し、そしてそれを生み出し、社会的に大きな変化を起こすことだ」と。



この言葉の中には、具体策がないため、私にはどうしていいのかさえ分かりません。これでは何も言っていないのと同じです。それに、こんなことができたら誰も苦労しません。本当にできるのならお金を支払ってもいから、是非とも経済評論家の先生に教えていただきたいものです。



美辞麗句を並べる前に、自分で実践して見ればいいのです。自分でやってみれば、口で言う程容易くはないのが、良く分かるはずです。全知全能の神であるまいし、貴方達の知らない世界もあるでしょうに。一つの意見に反対を唱えるなら具体案を示し、そしてそれを実行して欲しいのです。



もし会社内に評論家の様な人がいたら、きっと会社にとって大きな不幸になると思います。そんな人は解雇すればいいのでしょうが、今の日本は解雇するのも容易ではないのが事実です。



「文句ばかり言っていないで、さっさと行動しろ!」と言いたくなります。と、文句を言いつつも、嫌な人から離れたくても離れられない会社経営者は、まるで悪妻を持ったと言われるソクラテスの心境に似ています。そんな人々を抱えた企業経営者達は、哲学者になれるのかも知れませんね。



ソクラテスが考えたように、「知っているものが何も無い」という状態ではなく、「知らない(不知)ということを知っている」人が、本当の賢者ではないでしょうか。



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2015年04月16日

経営理念の再考


経営理念とは、企業という組織自体の存在する意義や目的を明文化したものです。「会社は何のために存在するのか」を言葉にしたものです。



企業が進むべき目標を明確にすることにより、そこで働く従業員の行動も具現化され、何のために働くのか分かり易くなります。そこで、大手各社の経営理念を抜粋してみました。



トヨタ自動車株式会社

1.内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす

2.各国、各地域の文化、慣習を尊重し、地域に根ざした企業活動を通じて、経済・社会の発展に貢献する

3.クリーンで安全な商品の提供を使命とし、あらゆる企業活動を通じて、住みよい地球と豊かな社会づくりに取り組む

4.様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め、世界中のお客様のご要望にお応えする魅力あふれる商品・サービスを提供する

5.労使相互信頼・責任を基本に、個人の創造力とチームワークの強みを最大限に高める企業風土をつくる

6.グローバルで革新的な経営により、社会との調和ある成長をめざす

7.開かれた取引関係を基本に、互いに研究と創造に努め、長期安定的な成長と共存共栄を実現する


アサヒビール

アサヒグループは、最高の品質と心のこもった行動を通じて、お客様の満足を追求し、世界の人々の健康で豊かな社会の実現に貢献します。


住友商事グループ

<企業使命>健全な事業活動を通じて豊かさと夢を実現する。<経営姿勢>人間尊重を基本とし、信用を重んじ確実を旨とする。<企業文化>活力に溢れ、革新を生み出す企業風土を醸成する。


京セラ株式会社

全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること。


株式会社ダスキン

一日一日と今日こそは あなたの人生が(わたしの人生が)新しく生まれ変わるチャンスです。自分に対しては 損と得とあらば損の道をゆくこと 他人に対しては 喜びのタネまきをすること。我も他も(わたしもあなたも)物心共に豊かになり(物も心も豊かになり)生きがいのある世の中にすること  合唱 ありがとうございました



各社素晴らしい経営理念です。



この経営理念は、企業の価値観を提供するもので非常に重要なものです。そして、意思決定を行う際の基準になるものであると言え、この理念を基に行動するための目標である経営計画が立てられます。



例えば、「収益を向上させるため、生産効率を前年度よりアップする」「地域経済発展のため、原料は地元から仕入れる」「女性の社会進出を促進する」などです。



これらを基礎に、短・中・長期計画で数値化してゆきます。どの企業でも経営理念の中で行動指針を決め、企業として存在するための価値観を社会に提供するのです。勿論、法令遵守は勿論、企業人としての規範やモラルも問われます。



どんな目標でも一足飛びに達成できません。企業も同じで、高い山(設定した目標)に登りたい(達成)のなら、足元の一歩一歩が大切になるのだということですね。



もし、職場でやる気をなくしている貴方がいるなら、自分達の会社の企業理念をもう一度読み直し、自分がなんのためにこの会社で働くのかを考えてみては如何でしょうか。



現在の資本主義社会では、工程の細分化により自身が従属化されてしまい、自身のやっている仕事の意味が見出し難くなっています。自身の生き方や、したいことを明確にするためにも、経営理念を見直し意思決定のフレームをマクロな観点から理解することで、自分のやるべきこと、進むべき道筋が見えてくるように思えます。



要するに心の持ち方や考え方が、人生に良くも悪くも影響を与えるのです。



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2015年03月17日

地域格差を利用する生き方


サラリーマンの年収は、大都市圏の景気が上向いて、求人倍率が上昇するほど高騰していく傾向があり、地方との格差は大きくなっています。



しかし、人件費削減は経営者側にとって大きなテーマであり、企業が日本国内だけで経営していくなら、今後、安価な人材を探すために地方へ目を向ける企業も増えていくでしょう。



都道府県別の賃金

*平成26年賃金構造基本統計調査 結果の概況より


平成 25 (2013 )平均 消費者物価地域差指数の概況

*平成25(2013)平均 消費者物価地域差指数の概況(2014328日公表)より



反面、働く側にとってこれは問題であり、いくら物価が安いからといっても受取る所得が少なければ生活は良くなりません。



そこで打開策として、地方では生活費を抑えることができますから、地方に住みつつ大都市圏の仕事をするのが、それぞれのメリットを取り入れることができ、国内で生活する賢い選択だと思います。



現代はITが発達していますから、オンラインショップやメールマガジンの配信などを行えば、別に大都市圏にオフィスを構え、そこで仕事をする必要はありません。



もちろん、その事業を行うに見合うスキルがないといけませんが、実現すれば生活コストを低く抑えて収入は地方の人々より多く得られます。



大都市では、何かとストレスも多いでしょうから、精神的負担が軽減できる生き方になる可能性も大です。都市部に居住し、都市部で働くだけが生き方ではありません。



この方法で、東南アジアで居住しながら日本国内の市場で起業するのもありですね。独立開業を目指す人々にとって、本当にいい時代になりましたね。



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2015年03月12日

悪い運命は存在しない

   

どうやら人間の記憶は、あてにならないようです。



    

                Source:NovelTranceLab



ある心理学者達の実験によると、人間の記憶は必ずしも過去を客観的に記憶している訳でなく、記憶は編集され歪曲され、そして数多くの人生経験の中において、大きな不幸や衝撃的な出来事について特に強く記憶に残るそうです。



そして、不幸な記憶が強く残ることにより、嫌な部分だけが再構築され、更に強く不幸な記憶として脳に記録されます。それらは、ずっと心の中で可愛がられ、嫌な記憶を時々思い出し、また不幸な状況を作り出します。



そんな記憶をいつまでも抱いていると、明るい未来は永遠に訪れません。ほら、よくいるでしょう。いつも人の悪口や過去の嫌な経験しか話さない人が。恐らくそんな人々は、顔に笑顔はなく幸せでないはずです。自分から悪くなるための行動を起こしているのですから、そうなるのも当然です。



では、どうすればいいのか。良い未来を創る行動を起こせばいいのです。未来からの視点で見ることにより、現在の試練を克服できるからです。



成功した人や幸せな人々は、欲しいものを要求し、自分を縛らず行動しています。成功した人や幸せな人々にも、過去に嫌な経験や出来事は当然あります。リスクテイクした人なら尚更です。



でもここで後ろ向きにならず、良い未来を創るため努力し、明るく良い未来を創ったからこそ、過去を笑い飛ばすことが出来るのです。このような人々は私の周りに大勢います。更に彼らは、過去は変えられないと分かっていますから、今をより良くする未来を創るため、いつも遠くの明るい未来を見据えています。



反対に、未来志向になるためには、嫌な記憶の支配から早急に抜け出さねばならないのに、いつまでも過去の不幸な経験や出来事に囚われ、悪い思考に縛られてばかりいる人々は、いつまで経っても苦労ばかりで、笑うことなどできないでしょうね。



では、良い未来を創る方法とは?それは次回で。






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2015年02月20日

一生働こう


会社組織に属していれば、経済的負担や法的リスクは会社という人格に責任の所在があり、個人は組織内で保護されます。余程の不正行為や不祥事を起こさない限り、従業員として雇用は守られるはずです。


ただし、あまり失敗ばかりしていると査定に響き、リストラや出向を命じられる場合があります。


一方、自営業においては、済的負担や法的リスクは全て経営者の責任になります。不正行為や不祥事、経営状況の悪化により存続の危機に陥ると、生活に大きく影響します。


反面、事業が軌道に乗れば大きな利益を得られます。


一箇所からの収入だけで生活するのか、コストリスクを分散し複数の箇所から収入を得るのかの違いです。


「どちらが正しいのか」「正しくないのか」と言っている訳ではありません。自身がどちらの生き方を選択するだけの違いです。


私は、より柔軟性を持たせるなら自営業を選択し、自分の事業で生計を立てていくのが望ましいと思っています。


米国では55歳を超した頃から、サラリーマンを続けることが難しくなっており、60歳以降も現役として働ける環境を安定的に確保したいのであれば、できるだけ早い時期に自営業や会社経営の道へと転身するしかありません。


長年会社勤めをしてきた中高年者が、ゼロから自営業をスタートさせると言っても、短期間でビジネスを軌道に乗せることは難しいからです。


日本でも、定年まで本当に働けるのか不確実な時代になっています。今から勉強してチャレンジできる環境を整えておくのも大切です。


定年退職後、その後の人生がバラ色である保証はどこにもありませんから。


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2015年02月17日

撤回はいけないことか


自分が決めた物事を撤回するのはいけないのでしょうか。



自分が一旦口にした言葉を死守しようとする行動は、大衆において確かに素晴らしいことだと考えられ、世間もそんな人にエールを送り賞賛する傾向があります。



しかし、所詮それも他人の話です。どこかで、自分達に関係ない遠くの出来事だと思っているから、簡単に励ましの言葉を送ろうとするのです。



同調圧力の強い限られた環境の中、無責任に励まし、決して誰も間違いを指摘しません。ハッキリと指摘してあげればいいのに、相手に嫌われるのを避けたいがため、努力次第で報われると言う幻想のもと行われます。



彼らは、資本主義社会の不平等さに全く気付いていません。そんな面倒な人が、世の中に一定数存在するようです。



間違いを指摘されないから正しいと信じ、励ましにより誤った方法に気付かず、誤った方法のまま努力する。


その言葉を信じ、当の本人はいつの間にか精神的、金銭的ダメージは大きくなり、取り返しがつかなくなります。



そして、損失回避の罠に陥り、時間とコストをムダにしてからやっと間違いに気付きます。



「信念」「初心貫徹」と言えば聞こえはいいですが、柔軟さがなく「頑固」とも言えるのです。



関西弁言うなら「そりゃあかんやろお前」ですね。



これでは、いつまで経っても成功できません。



「努力すれば誰でも成功出来る」その言葉自体がまやかしです。ダメならダメと、ダメなやり方を指摘するのが本当の思いやりでしょう。



そんな人々が道半ばで「や〜めた」と言った人に対して、どんな言葉を投げかけるのでしょう。



途中で止めるのは、自分の判断に誤りがあり、損失回避の罠に陥る前に気付いたからに他なりません。大きなダメージになる前に、早くに自分の誤りに気付くのは正しい判断であり、少しも非難されるべきものでもありません。



止めるのを選択したのは、自己欺瞞に陥る前に、相手に対し誠実な態度を示したからです。更にそこには考え方の柔軟性もあります。



正しいか正しくないかは当事者が判断します。それは、全く何も知らない関係ないあなた達が判断し、結論を下す問題では無いからです。



そんなことも分からず、方向転換した他人に対して攻撃的な気分になれるというのは、責任の所在を他人に求める被害者意識の強さの表れでしょう。



被害者意識のもと自分だけが正しいと思い、口汚い言葉で人を罵り他人を攻撃する行為は、巡り巡って自分にマイナスの影響を与えます。他人を攻撃するというのは建設的思考でなく、過去に後悔する逃避行為で、何より人望を失う結果をもたらすからです。



試しに、人の悪口ばかり言っている人と一緒に過ごしてみてください。気持ちが暗くなり、疲れませんか。



そんな方に、積極的に会いたいと思う人がいるでしょうか。少なくとも、私なら会いたくありません。もしあなたの身近にいるなら、早めに縁を切るのが懸命です。



また、人を批判するなら、語彙の乏しい子供のような言葉遣いではなく、大人の言葉遣いでお願いしたいものです。それは、母親におねだりした子供が自分の要求を受け入れられず泣き叫び、駄々をこねているようなものだからです。



いくらウェブ上だからと許されません。書いたものは、言葉のように消えず全て記録に残ります。



記録に残された汚い言葉の数々は、その言葉を発した人の本性です。心中にないものを言葉にするのは勿論、書くこともできません。



更に、事実関係を明らかにし、何がどのようにいけないのか、具体的な反論があればいいのですが、それもありません。真実を包み隠し、ただ単純に暴言を吐くだけです。



当事者にしか分からない内々の話は、世の中に沢山あります。



周りの人も、一方的な意見しか聞かないまま「あの人が悪い」と、決めつけるのはおやめになった方が賢明です。後で正しい判断が下された時、どう対処するのでしょうか。既に同調している時点で、同じ穴の狢ですがね。



失敗した責任は自分自身にあります。自身で判断し決定したからです。これは私も同じです。



事実に基づかないものを、恥ずかしげもなく世間に発信するのは、自身の愚かさを晒しているのと同様です。



某国のように国外に敵を作り、国をまとめるナショナリズムに似ています。



世間には情報弱者で、自己批判精神のない人々が一定数いるのだと割り切り、放っておくしかなさそうです。



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