2017年03月28日

「イワンのばか」をどう読むのか?

「イワンのばか」という物語は何を語っており、これをどう読むのでしょう。


言葉どおり、「虚偽」「洗練」「冷酷」「裕福」「不労」ということよりも、その対にある「正直」「素朴」「温厚」「貧困」「勤労」の者の方が偉く尊いと言うのでしょうか。いま、世の中のリーダーシップを取り、人々を効率的に使い世界を動かしているのは前者であり、現代社会において後者は前者に負けてしまいます。


後者は前者に比べて自分の不遇さ認めながらも、どこかで認めたくない気持ちがあり、その表れとして「恨み」「妬み」「つらみ」「怒り」「恐れ」を知らず知らずのうちに持つことになります。


人々が神を信じ神をあがめているのも、人々が強者への怨念を隠しもっていて、それを晴らしてくれる超越存在を欲しており、その世界の中で強者は「悪」弱者は「善」の二元論で構成されるようになり、弱者はそこで心の安らぎを得ることになります。

 

物語の中で、「悪」である強者の声は弱者にとって雑音にしかすぎず、何を言っているのか言葉の意味さえ理解できません。しかし、打算的、保身的、戦略的思考に長けていることが大人には求められます。きびしい競争世界では、それらを身に着けていないと生きていけません。


「イワンのばか」を子供に読み聞かせるとき、イワンの王国の掟通り「働いて手にタコがある者だけ、食べる権利があり、手にタコのないものは、そのお余りを食べよ」と手を使い働くことの尊さ教えるのが正しいのか、それとも悪魔が言うように、「手で働くより、頭を使って働けば楽をして儲けることができる」のが正しいのかどちらでしょうか。


更には、もうこの物語のような世界観は終わりをつげ、人々が現代社会で生きるにはあまりにも幼稚過ぎるのでしょうか。



人はいかに生きるべきか。人の世はいかにあるべきか。


ニーチェは、人間の道徳を二つの類型に分けています。それは、支配者道徳と奴隷道徳です。人間というのは支配する立場(価値の創造者としての権威)に立つものと、支配される立場(支配者の付属物で自立していない)に立つものとに必然的に別れるのだとする見方です。


奴隷たちにとって「支配者は悪人であり、善人とは支配される自分たちのことである」と奴隷道徳は言っています。しかし、人類を向上させてきたのは、善人である奴隷たちではありません。人類を向上させてきたのは、悪人である支配者です。


人々が置かれたポジションにより、同じものでも「善」となり「悪」にもなります。どちらも正しく誤りでもあります。正解を導くことは誰にもできません。


では、これを子供達に教えるときは、どのようにすればいいのでしょうか。イワンと悪魔の考え方を両方教えて、あとは考えて貰うしかないでしょうね。


今の日本に必要なのは、社会全体を引き上げていくべき役割が期待される支配者なのかもしれません。


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posted by ヨッシー at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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