2015年09月07日

新年の誓いが守られない理由


(コスト負担の先送り)

毎年新年になると、「今年こそはダイエットに挑戦する」「仕事に役立つ資格を取得する」「今より収入を増やす」など、目標を立て今年こそはと、立てた目標を達成しようとします。しかし、時が経つにつれその目標も色あせてしまい、念頭に立てた目標が無かったかのように振る舞い、そして以前の何も変わっていない自分のままとなる。


こうなる原因の根とは何だろう。今やることを決め、決めたことを継続することにより、将来的に現状を打開し不満を回避できるのにやらないのは何故なのだろう。


これは時間的不適合性で説明できるようだ。

*時間的不整合性 (Time Inconsistency Problem)とは、長期的に見て利益になるルールを作るが、それが短期的利益と相反してしまう為、長期的利益の為のルールを破ってしまうことである。


人は現在と未来では、全く違った考え方をすることが明らかになっている。現在だと、人は衝動的に行動し、感情と目先の欲望に大きく左右される。未来だと、今やらなければならない、今耐えなければならい必要のある、少しばかりの時間損失や精神的不快感、肉体的負担は、特に緊急性がないと考えてしまう。時間的不整合性は、そういった場合に起こる。


人は小さな行動(コスト)を先送りにし、将来の自分にコスト負担させようとしてしまう。将来のメリットが生ずるのは、今のコスト負担によるものであり、未来を見据えて今日を生きるなら、明日まで待つのが理にかなっている。


残念なことに、今コストを負担しない人は、今日が明日になれば、また同じ意思で支配されてしまう。世の中には、もっと有意義に使えると思われるお金の使い道の誘惑が多いのも影響している。


ダイエットを決意し目標を立てるが、食欲に負けた自分は、高カロリー食品や甘いものに手を出してしまう。長期的には、健康にもよく、見た目も良くなり、活動的になることで経済的効果も期待できる。「今年こそは起業する」も、新たな行動のための時間や労力の負担が生じる。今まで、趣味や娯楽に使っていた時間を減らし、今まで以上に労力を用いなければならない。場合によって、睡眠時間を犠牲にしなければならい。「そんな時間はない」というのなら、それほどにまで余裕が持てない働き方にこそ疑問を持つべきだろう。


それすらままならず、今まで通りに過ごしていると、今日が明日となり、「明日から明日から」と、問題を先送りした結果、何も変わっていない自分のまま新年を迎えることになる。


また、ここでは他人に価値観の基準を委ねないことも大切である。他人から、褒められたり認めてもらえたりすると、頑張ってよかったと達成感で苦労は吹き飛ぶという人がいる。これは第三者に認めて貰いたい強い承認欲求があるためで、価値観や達成感の基準が他人任せになり、そこに自己基準はなくなり、他人のために生きることになりかねない。それは止めた方がいい。



あるウェブサイトに書いてあったが、目標を達成出来ない人は、現状にポジティブで未来にネガティブであるという。達成出来る人は、その反対となる。将来の楽しみに重要を置いていないからそうなる。


人の目標を未達にする誘惑は世間に溢れている。そこでの誘惑に負けたひとは、将来の誘惑の可能性に対し、どうせ明日も誘惑に負けるのだから、今日も誘惑に負けるのも同じだと考えてしまう。自分には実現できないから、今が楽しければいいと脳に命令してしまい、その結果、負のスパイラルに陥ってしまう。


目標は果てしなく遠く不確実性が高いため、強い自制心が働かないと達成は難しい。自制心は使うと疲れる。筋トレや運動習慣と同じく、慣れてしまえばいいが、疲れに勝てず諦めてしまうから続かない。見方を変えれば、筋トレが続いている人は自制心が強い人だと言える。



(どうすればいいのか)

では、どうすればいいのか。それは、目標は果てしなく遠く不確実性が高いなら、そのハードルを下げればいい。今耐えなければならい必要のある、少しばかりの時間損失や精神的不快感、肉体的負担を少なくすればいいのだ。


ダイエットなら、間食を1回だけ止める。5分だけ歩く。駅まで歩く。起業なら、30分だけ起業のための勉強をする。毎月1,000円ずつでいいから起業資金を貯蓄する。とにかく、負担となるハードルを下げ、毎日これだけを続ける。そうすることにより、自制を用い小さな達成感が得られた結果、行動が習慣化し身体が慣れてくる。何かやらなければ、不安感が生じてしまうようになれば、行動が習慣化した証である。


今の犠牲なしに、将来の目標が実現するなんて100%有り得ない。リビングに寝転びながらポテトチップをつまみ、毎日酒場でビールを飲んで愚痴をこぼしているようでは、目標を達成できない。自分に対し、何らかの犠牲が伴わないと実現は無理なようである。



(無責任な成功者たち)

長々と書きましたが、巷にある成功本によく書いてある内容です。努力して実践した後、成功者になった人は確かにいる。彼等からすれば、成功していない人々は貧乏人である。しかし、これらの議論は印象をもとに持論を展開しているに過ぎず、これを実践したからといえ、万人に結果が出る訳ではない。


成功者たちに、「努力が足りない」「やる気がない」「もっと自分に厳しく生きろ」と精神論に終始する連中は多い。そう言った人達は、今自分が生きている安住な立場があるからこそ言えるのであり、そこで厳しいことを言うのは簡単だ。


厳しいことを言う先進国の人達は、過保護なくらい各種の社会保障制度に保護されており、それに甘えている。それらがシステムとして組み込まれているから気付いていないだけなのである。


飲み水で病気になる確率は低く、下水道は完備しており汚物を水で流すだけですむ。明日の食料の心配もいらない。そのおかげで、生活以外のこと専念する心のゆとりが生まれる。自分達の自制心や決断力をあてにする必要は殆どないからだ。


社会保障制度の受益者である甘ったれた人達が、貧乏人や失業者に厳しいことを言うのは、お気楽過ぎて滑稽なことだ。普遍的な成功法則など、この世には無い。たとえあるとしても、それは自分自身で歩んできた道筋の中でしか当てはまらない。


更にここで残念なのが、貧乏人たちは、安直で楽に成功できる方法を求めようとする。成功法則などないのに、そればあるように見せかけるだけのビジネスに騙されているのも知らずに求めようとするのである。


成功法則は何処かにあるはずだと、求めようとするその気持ちがあるからこそ、更に彼等を裕福にさせてしまうのである。私も無責任なアドバイスに気を付けたい。



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posted by ヨッシー at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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