2015年10月29日

今より収入を増やす簡単な方法


私は過去に大変お金に困った時、どうすればお金が稼げるか真剣に悩んだ。これといったスキルや資格もなく、「どうすれば収入を増やすことができるか」で頭の中がいっぱいだった。そこで私がとった方法は、「睡眠時間を削り休日に働くこと」だった。



働くといっても純然たる労働であり、生計を維持するためだけに行う労働である。その際に選んだ仕事内容は、チルド食品製造工場のラベル付けと施設警備員だった。会社に勤めながら働くため身体はつらいが、当然に収入は増える。



自分の時間を最大限労働力にあてるのだ。



タイトルを、「今より収入を増やす簡単な方法」と書いたので期待を裏切ったと思うが、これが収入を増やす一番手っ取り早い方法である。



労働力を提供する副業を会社に勤めながら行う訳だ。勿論、副業禁止の会社もあるだろうが、普通に暮らしていて収入が足りないなら、会社としても大いに認めるべきだと思う。むしろ、会社経営者として十分な賃金が払えないなら、それ自体を問題にすべきだろう。



要するに、睡眠時間を削り休日にも働く行為は、自分の持つ時間の切り売りをするということだ。労働力を提供するしかできなかった私は、こうする他手段がなかった。



一山あててやろうと意気揚々と取り組んだビジネスも上手くいかず、水辺に浮かぶ泡沫の如く消え去った。消臭剤に始まり、化粧品、浄水器、インターネットテレビ、ネットワークビジネスなど、ことごとく失敗した。この時に投資したなけなしのお金は全て無駄に終わった。やがて仕事の失敗が生活まで脅かす様になり、挙句の果てには借金まで抱える始末。



借金返済のため、時間の切り売りをする労働環境から脱出することが余計に出来なくなってしまった。睡眠時間は少なく身体は常に疲れている。休日も趣味やレジャーを楽しむ時間もなくなり、精神的ストレスも溜まる。債務整理を行ったためクレジットカードすら持てず、社会的は信用もゼロ。おまけに借金があるのに転職し、家族にも多大な迷惑をかけた大馬鹿野郎である。



それでも時間の切り売りである副業で収入を得ながら、5年間で借金を返済した。



親からも、「身から出た錆だ」と言われたのはごもっともで、反省すべき点は大いにある。楽してお金儲けはできないのを実体験の上で十分に学んだ。先ず手始めに、今以上に収入を得たい、起業する際に必要な資金が欲しいと思うなら、時間の切り売りをしてお金を稼ぐのが近道だ。



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2015年10月27日

プレミアム商品券販売に、まだならんでいるの?


先日のプレミアム商品券の販売は、すさまじいものがあった。販売される店舗には、朝早くから買い求める人々の長蛇の列があり、そこまでして手に入れたい物なのだろうか。


まず、プレミアム商品券の仕組みを簡単に紹介したい。



1.国が地方自治体に助成金を渡す。

2.地方自治体がプレミアム商品券を発行する。

3.商店街や大型スーパーなどでプレミアム商品券を販売しす。

4.商品券を買った消費者が、商品券を使う。

5.プレミアムの分だけ多く消費されることになるので、経済が良くなる。



一時的な消費で終わるのではないか

一番の批判はこれです。確かにプレミアム商品券の発行によって、一時的に消費は増えるかもしれない。しかし、商品券を使い切ったらおしまいです。地方を活性化させるには、中長期的に発展させるプランを考える必要がある。


プレミアム商品券は、宣伝や発行するために多額の税金が無駄遣いされているため、消費を増やす効果を減らすという問題点もある。消費を増やす目的であれば、数千億円の財源を減税したほうが問題が少なく、効果が期待できるのではないか。


特に、この商品券につき合わされた個人商店は、大量にこれを引き受けると資金繰り困る場合もある。売り上げが現金なら、すぐに仕入れ資金に回せるが、支払に商品券は使えない。最悪の場合、資金繰りのために借り入れを余儀なくされるとすれば、何のための地方再生か分からなくなる。


私がくどくど書くより、詳しくは地域再生プランナーである、久繁哲之介氏のブログ『久繁哲之介の地域力向上塾』を読むと大変に分かりやすい。


プレミアム商品券「買えない、使えない」不満が続出〜転売を無くす方法


商店街プレミアム商品券は「不正が多い、効果が無い」割引は麻薬だ!


プレミアム商品券 「換金、悪用、不正、不満、手数料=上納金」問題まとめ



聞くところによると、今回も購入時のトラブルがあったらしい。長蛇に列に並んでいる内に気分が悪くなる人や列の順番を巡るトラブル。トラブルが発展し、暴力沙汰になる始末。


数時間も並んだ末にやっと手に入れられる商品券だが、受取れる利益などたかが知れている。自分の時間当たりの単価を知っている人には、この列に並ぶことはしない。


この様なことを私は書いているが、偉そうに書くなという人も中にはいる。「まるで一流企業の社長気取りだ」と揶揄する人もいた。


そもそも本人は、一流企業の社長の定義とは何なのかさえ分からないまま言っているのだろう。恐らくそんな人は、内容で判断するのではなく、誰が言ったかで判断している。


問題は誰が言ったかではなく、何を言ったか、何をやっているかだ。内容で判断することなく感情で判断し、挙句の果て人格否定までする。もし同じような発言を著名人や専門家、定義さえ分からない一流企業の社長が言ったなら、羊飼いに従う羊の如く、何の疑いもなく盲目的に信じてしまう。これでは権威性やブランドに弱い自分をさらけ出しているのと同じである。


あの人が言ったからと脊髄反射する前に、少しは自分の頭の中で咀嚼し考えてから物を言え!と言いたいい。偏見というフィルターを通して物事を見てしまうと、誤った判断を下してしまう。



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2015年10月24日

最大のパフォーマンスを得るには食事が重要だ


人の身体は何から作られていくのかというと、食事から作られているのは間違いなく、食事によって体調や体型も決定される。摂る食品によって、人の健康は左右され、悪い食品を摂ると、その影響は身体のみならず精神にまで及ぶ。



現代では様々な食品が手軽に購入できる反面、その中には身体に悪影響を与えるものも多く存在しており、現代人は沢山のリスクにさらされていることになる。こうなると購入する食品や素材に無頓着ではいられず、自己防衛するしかない。



この本は、そんな現代人にとって著者自ら体験し、最大にパフォーマンスを上げるための食事方法が書かれている。特に注目すべきは、「完全無欠コーヒー」の部分であり、この方法でコーヒーを飲むことなど、凡人の私には考えさえ及ばなかった。著者自ら大金を投じ実際に試した方法であり、結果が伴っているため信頼性も高い。



早速この本を読んで、私も朝食を「完全無欠コーヒー」だけで済ませてみた。その結果どうだろう、朝食抜きだと午前中は空腹で仕事が出来なくなると思っていたが、全く逆だった。空腹感は無く、とても身体が軽い。午前中まで何ら問題無く過ごせる。反対に「完全無欠コーヒー」を飲まず、朝食にパン(小麦)を食べた時は、耐えがたい空腹感に襲われた。パンを食べることにより、余計に腹が減る。



実はこのコーヒーを飲むことにより、身体に良い脂肪分を摂り入れることが出来る。我々にとって脂肪分とは悪者扱いだが、それは悪い脂肪分であり、むしろ健康に良い脂肪を食べることが重要になってくる。摂ってはいけない脂肪分として、マーガリン、ラード、サフラワー油、キャノーラ油、綿実油、亜麻仁油などがある。



これらをなるべく摂らないようにするには、自己管理するしかない。さらに自己管理するとなると、どんな食材や油脂を使っているのかさえ分からない飲食店へは、どうしても行く機会が減ってしまう。わざわざこちらから出向き、作っている人が食べたいと思ってもいない健康に悪そうな食事を、お金を支払ってまで食べる気にはならない。こうなると、外食するにしても、信頼のおけるお店にしか行けなくなってしまう。



そもそも大手外食チェーン店では、アルバイトが作っている。そんな食事に過度な期待を抱く方が間違っているが、リスクに晒されたくなら、そのようなお店に行けなければいい。お店を選択する自由は我々側にある。気分転換にための外食もたまにはいいが、食事について自己管理を徹底するなら、やはり自宅で作るのが一番だ。



著者によると、激しいワークアウトもいけないようだ。体型は9割方「食べ物決まる」としているが、「強度の高い激しい有酸素運動を習慣的に行うことは心臓を弱らせ、心筋にダメージを負わせる」と言われている。ランニングや自転車は健康を増進する上において効果的だが、殆どはさほど効果が無い。特にマラソンは最悪で、「百害あって一利なし」のようだ。



食べ過ぎたと運動するのもいいが、それはただ動き回っているだけで、何ら効果をもたらさない。それならば食事に注意し、食べ過ぎなければいい。



著書に書かれている全ての方法を実践するのは難しそうだ。それぞれの持つライフスタイルにより、確かに全部をやるには無理がある。それでもなるべくリスクを減らしたいのなら、できそうなことから始めればいい。自分自身の健康を守るのは自分しかいない。



実際にこれで私は体脂肪率を7%、体重を5kg減らすことに成功した。そんなに難しい方法ではない。修行僧のように大きな忍耐力と努力も必要ない。必要なのは、決められたことをスケジュール通りにこなせる自己管理能力だけである。



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2015年10月22日

大阪の夜は熱い


先日出張で大阪に行ってきた。海外からの旅行客で市内のホテルは満室だったため、市内から少し離れて所に泊まった。夜の街へ繰り出したが、道頓堀界隈は外国客で溢れかえっていた。

それにしても大阪は、相変わらず活気がある。

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飲食店が多く食事には困らない。しかし、目的なしに来ると店の数が多すぎて、どこにしようか迷ってしまうかもしれない。

そして、この店が最高に面白い。




昭和の時代を彷彿させるこのお店。隣に座った女性の話によると、ラウンジレディの数は300名ほどいるそうだ。幅広い年齢層(60歳以上の女性もいる)や営業開始時間が17時〜という所が魅力的だ。店内も広い。


我々は21時過ぎにお店へ入った。出迎えてくれた女性はもうすでに十分に出来上がっており、ろれつが回っていない。早くから相当の量飲んでいたのだろう。これには笑えた。勿論、下ネタは満開。大阪の夜は楽しい、いや楽し過ぎる。


興味がおありの方は、是非行っていただきたい。料金が高いばかりで、会話すら十分にできない女性がいる店も多いが、この店に来れば決して後悔はしないだろう。この店に案内していただいた、取引先の社長には感謝したい。


残念ながら、店内写真を撮るのを忘れていたので、年内にもう一度行くつもりだ。



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2015年10月19日

地方再生とは?2


木下斉氏著書の「稼ぐまちが世界を変える」は、私にとって衝撃的な内容だった。地方再生も間違ったやり方では、とても再生などおぼつかない。間違った方法でいくら努力しても実を結ばないのは、すべてにおいて言えることである。


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(縮小する社会に合わせる)

行政が行う地域の活性化とは、私益より公益を追求し、試み自体に利益は出ずとも街全体で利益を出すために、公的支援は赤字でも仕方が無いというスタンスなのか。市民目線の無い人達が「公益」だと前例を踏襲するだけで、「食べていける」のだろうか。


もしかして救いようの無い役所のご都合主義と化してしまうのではないだろうか。かといって、役所主体でなく、市民が主体になって地域再生を進めなさいという、使い古された論調に終始すればいいのか。実益が伴わないと、民間人が地方再生をおこなうインセンティブは乏しくなる。


最後には、地域再生の方向性としては、ギリシャモデル。つまり、心の豊かさを追求し、経済的な破綻が迫ってくることには眼をつぶり、幸せを感じましょうとするのか。こうなると希望という名の諦めが生じ、「もうやめた」と、さじを投げたに等しくなってしまう。


地域再生の方策案は、響きはいいものを並べているに過ぎず現実的ではない。


人口減少する日本社会の中で地域再生とは何か。日本の地域はどうなるべきか、全ての地域を再生するべきなのか、一部に集約化すべきかという財政的な根本的問題がある。限られた予算の中で執行するので、選択と集中を行わないと効果が薄れてしまう。そこには残念ではあるが、どうしても社会的格差が生じてしまう。


将来、国単位では経済は縮小する。計画の根本は、今後人口が減少する日本で、「どうすれば破綻しない持続的な社会を作り出すか」にある。拡大する社会ではなく、縮小して行く社会に合わせるのである。地方復興は、砂漠に新たな街をつくるのではない。上から下へ理想論をばらまいても、高齢層は納得するだろうが、未来そのものである若年層にとっては足枷にしかならない。


成功例としてもてはやされている地域再生事業も、現地に行ってみれば街は閑散としており、ハコモノ行政の愚、推進者の押し付け発想、西欧の安易な模倣、一過性のイベント、一部業者しか得をしない地方特産品のブランド化など、聞くと見るとでは大きく違う実態がある。


基本的に役人は、経済活動によって付加価値を生み出す仕事ではないからそうなるのである。



(地方復興コンサルの弊害)

また、そこには地域復興コンサルの問題もある。ヒアリングに来るコンサルタントの多くは、基本的な知識もないことがあると言われている。さらに、自らのリスクで投資して、地域で事業を立ち上げた経験がある方などは皆無に近い。


そもそも地域で事業ができる才能がある人なら、もうとっくに事業を立ち上げている。地方復興コンサルをやるなら、先ずは地に根を張り見続けて欲しい。地域に根ざし見続けることが体験談になり、やがて成功へと導かれるのではないのだろうか。


税金を頼りにする人々に申したいのは、計画した事業で普通に儲けが出るのであれば、地域の個人や銀行から資金調達をして、事業を開始することが可能ではないのか。人と経済は生きている。単発の支援だけでどうなるものではない。


ここでいけないのは、設定した事業収益の目標に対して実施前と実施後の評価がなく、税金で受託した業務の結果に対する評価を問われないことだ。自分の腹は痛まないから、これでは地域に真剣に向き合った地方再生などできるはずもない。財政基盤を改善するのが地方再生の目的なら、数値で示すべきだろう。


民間企業なら、結果が伴わなわなければ、市場からの撤退を余儀なくされる。税金は、一部受託企業の利益を確保するためにあるのではない。毎年予算化された、お上からの補助金を得るためだけが目的なら、誰のための補助金事業か分からない。


そして補助金の用途は、役人のルールによって決められる。これでは制約が生じ、役人の顔色を伺いながら事業を考えるようになる。そうなると、思い切った事業計画が立て難くなくなる。いくら税金だからといえ、これは立派な投資である。民間なら、投資が回収できない事業などあり得ない。効果がなければ、きっぱりと撤退し諦める勇気が必要なのだが、それもない。


ただ、だらだらと税金を投資してしまう結果に終始するばかり。行政主導型の地域復興コンサルが、果たして必要なのだろうか。もっと役人が当事者意識を持ち深く考え、知恵を絞るべきではないのか。業者に丸投げでは責任の所在が不明になり、問題は一向に改善されない。



(市場原理に従う)

地方が再生するのは、自腹を切り、人々が欲しいと思う優れたサービスを提供した時だけだ。素人に近い主婦の食堂やカフェをやっても、市場に受入れられなければすぐに潰れる。だがそれでいい。会社や商店が淘汰されるのは、新陳代謝を促進する上で必要である。


全国にある道の駅のように、儲からないのにゾンビのように生き残る方が、市場にとって有害となる。では、どうすれば良いのか。補助金や助成金に頼る起業や事業より、自腹を切った資金を用い、考える前に小さな商売からやってみればどうか。


多くの人から賛同を得ることや無責任な他人の言葉よりも、まずやることだ。やってみてから考えればいいだけである。それは、「まずは自分が実践し、変わる姿を見せる」この一言に尽きると思う。いくらいい方法があると一生懸命に訴え、同意を求めようとしたところで、相手からすれば右から左に流れる雑音でしかない。


机上理論でいくら武装しても、効果が出ていなければ意味がない。地域再生事業のみならず、事業は長年かけて形成されてこそ初めて市場に受け入れられる。そこには、継続的かつ恒久的な取り組みが実施されなければならない。立案した計画で効果が出なければ都度見直し、修正することが必要となる。


事業は小さなことの積み重ねで大きくなる。そこには自立心のあるプレーヤーが、自分の腹を痛めて経営することが大切だ。



(華やかさの中にある光と影)

話は変わるが、10月17日〜18日にかけて「ご当地キャラ博in彦根」が彦根市内で開催された。メイン会場である、夢京橋商店街通りは大勢の人で賑わっていた。隣接する四番町スクエアも同様であった。


夢京橋商店街通り

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四番町スクエア

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訪れた人々の幸せそうな笑顔が印象的だった。


しかし、メイン会場を少し離れただけで、その状況は大きく変わる。


銀座商店街

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シャッターが閉められたままの店も目立ち、閑散としている。ほんの2〜3分だけ歩いた距離であるのに、誰にも見向きもされず、一市民として寂しい気持ちになる。折角大勢の人がきているのだから、もう少しこちらへ人の流れを呼び込めないのか。



裏通りに入れば、なかなか味のある喫茶店がある。


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大手チェーン店に負けないで欲しい。恐らくここは画一化された味でなく、煩い子供もいないだろう。小規模店には小規模店なりの良さがある。


更に、俳優の始祖、芸能の祖神と仰がれる千代神社もある。まだまだ魅力的なところは多い。



折角大勢の人々が訪問してくれているのに勿体ない。キャラクター人気や商品に頼る盛況さだけでは、心もとない。もし、キャラクターの人気に陰りがでてきたら、それらに頼っていた商店はどうなるのだろう。また、地方再生が一部の業界のために偏っているのも気になる。


その証かもしれないが、イベントのない日は、メイン会場である夢京橋通りも閑散としている。彦根の魅力は、決してキャラクターばかりではない筈だ。


過去の成功体験や経験に固執してはいけない。チープな提案で申し訳ないが、こんな方法はどうだろうか。


・人の集まる場所でクーポンを配る。

・スタンプラリーを行い、達成者には買い物優待割引券を渡す。

・お店前に休憩するベンチを設け、そこで試食・試飲をしてもらう。

・おみくじをひいてもらい、神社へ参ってもらう。

・学生に声をかけ、一日店長や店主をやってもらう。勿論、利益優先。

・彦根市の地場産業の一つはファンデーションなので、オーダーメイドのものを作り、アンテナショップで宣伝する。

・もう一つの地場産業である仏壇だが、実はカフェアイテムを製造している。市内飲食店でこれを使用し、商品の良さを知ってもらう。



今の時代に合ったリノベーションを起こさないと、このまま衰退の一途を辿るだけだ。木下斉氏の著書は、地域再生を本気でしたい人々にとって、大変大きなヒントになる。



posted by ヨッシー at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 販売促進

2015年10月17日

地方再生とは?


昔ながらの文化や知恵を大切に思う気持ちに抗うつもりはないが、無責任に地方での居住を勧めるのに、私は反対の立場である。



確かに人は太古の昔から、自然と向き合い自然と共に生きてきた。昔の人の生活は、ガス炊飯器や電気温水器も無く、部屋の灯りはランプから照らされる薄暗いものであった。交通手段である鉄道や自動車も発達しておらず、大きな不便を強いられてきた。昔の人は、それでもその生活の中で、自然と同居し工夫しながら生きてきた。



しかし、不便な暮らしを現代人にやれというのは、かなり乱暴な話になる。現代では流石に電気、ガス、水道などのインフラは整備されているようだが、完全な昔の人々と同じ暮らしを再現せよというのなら尚更そう思える。



もし水道が無ければ、水汲み一つにしても、井戸にいき汲み上げそれを屋内の瓶やお風呂場に溜めなければならない。お風呂や料理に使う燃料だって薪を用いるから、先ずは切り出しから行う必要がある。昔話にある「おじいさんは山へ柴刈りに・・・」のあれだ。焚きつけし易いように薪を割らなければいけないし、火力は安定しない。一度着火すれば火の番は当たり前で、他の用事などできやしない。



先日スローな暮らしも悪くないと思い、私の事務所に薪ストーブを設置しようと考えたがやめにした。確かに火を使用した暖房は大変に暖かい。レトロな雰囲気があり、それ自体がインテリアとして素晴らしいものである。だが、業者の担当者に聞いてやめにした。



薪割りと灰の清掃、暖かくなるまでの時間や消火時の手間、オフシーズンのメンテナンスなどを考えると、とにかく面倒だからである。残念ながら私にはこれを完璧に行い管理する自信はない。仕事や生活そのものに時間と手間が多く必要になり、利便性を考えると選択する気は失せた。



それが楽しみであると言ってしまえばそれまでだが、私のライフスタイルには合わない。このスタイルは、決して万人に出来るものでは無いとさえ思えた。



地方は大変に不便だ。無責任に地方へ戻って来いというのはいいが、あまりにも不便な生活に疲れ、都市部に移住する人々が増えなければいいのにとさえ思う。私の実家も田舎であり、両親には大変申し訳ないが、絶対に定住したいと思わない。不便な場所で、生活するのはそれ相当の情熱や覚悟が必要なのである。




マイホームを建てる地域にも配慮した方がいい。日本でマイホームの建設ラッシュが起きたのは1960年代のことで、高度成長期に大都市への人口集中を緩和するために、当時の政府が、地方の住宅建設を推し進める法律「住宅建設計画法」を制定(1966年)したことが起点となっている。



その頃から半世紀が経過して、当時では最新鋭の新興住宅地はかなり寂れた雰囲気へと変わっている。人口は減り、商店は閉店が相次ぎ、空き家や耐震性で不安な住宅も増えている。そこに住んでいるのは、経済活動や消費活動の少ない老人ばかり。



地方再生のうたい文句で、その地域にこれからマイホーム購入を検討している人にとっては、街の機能が衰えてしまった古い住宅地に家を建てても、生活がしにくい。資産価値の下落幅も大きいことから、新規で開発された都心や地方都市にある近代的なマンションを購入したほうが便利で賢いという判断になってしまう。



これからの生活格差は、同じ都道府県でも、生活インフラの優劣によって大な差が生じてくることになるだろう。住みやすさは利便性の高さによって決まる。住民は便利でありさえすればそれでいいのだ。生活物資の調達、教育、医療、福祉すべてにおいて、人口が集中している場所にいる方が合理的であり、一方向に偏るより、都市と地方の良いところをベストミックスさせた生活が望ましい。



悲しいかな、人は便利な生活を覚えてしまうと不便な生活に戻ることができない。地方での暮らしは一部の人々にとって魅力的な生活だろう。しかし、多くの人々にとっては、趣味の域を脱しない試みなのかもしれない。忙しい現代人にとって、地方に定住する選択肢は今のところ考え難いようである。




posted by ヨッシー at 10:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 販売促進

2015年10月14日

座る時間と寿命の関係


人間最大のパフォーマンスを発揮するためには、健康管理が一番重要である。どんな仕事でも、健全な肉体と精神があってこそ、成り立つものだと思う。そこで運動習慣を身につけることは、健康管理を行う上において大切な要素の一つである。



デスクワークで座る時間の長い人は、特に気を付けたい。



座る時間が長い人は、米国癌協会による癌予防研究IICancer Prevention II)で、14年間に及ぶ追跡調査が、参加した病歴のない成人12万3,216人で行われた。その結果、座る時間が6時間の人は、座る時間が3時間未満の人に比べて死亡リスクが男性17%女性37%高くなった。



座る時間が6時間に加え、運動を全くしないと、死亡リスクは倍以上になり、男性48%女性94%となったそうである。



座り始めてすぐに、足の筋肉からの信号がピタッと止まり、足はカロリーを消費しなくなる。完全なスリープ状態である。さらに、座って2時間で善玉コレステロールが2割も減り、座る時間が長くなるとインスリンの効果にも影響を及ぼしてくる。


足の筋肉を動かさないと、様々なホルモンの分泌に悪影響を及ぼし、コレステロール、中性脂肪、さらには心臓にまで悪い結果をもたらすそうである。運動することの大切さは、調査結果で明らかなようだ。



私は出張の時は車で移動することが多いため、いつもスポーツバッグにランニングシューズとトレーニングウェアを入れている。特に宿泊の際は、ランニングやウォーキングする時間をつくり、宿泊先の近隣で運動を行うようにしている。



さすがに疲れている時にはやらないが、運動が習慣化してしまえば動かないと気持ちが悪くなる。先日宿泊したホテルは隣が海で、大変素晴らしいロケーションだった。



運動している時、大変心地よい海風が私の頬を撫でる。とても幸せな気分に浸れて、この時に脳内から快楽物質が出ているのだろうと予測できた。最大のパフォーマンスを発揮するべく、運動習慣は是非持ちたいものである。


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2015年10月11日

代理商としての信頼性


前回の続きになるが、代理商として信頼性を担保するのは大変重要である。その意味において、不動産の所有が必要だと判断したから不動産を購入した。


実は私、事務所は賃貸派だった。そんなものにお金をかけるくらいなら、もっと違う使い道があるだろうと考えていた。



賃貸物件のメリットは、全額経費になるので法人税が下がり、移転し易く、管理は管理会社がやってくれることだろう。一方、購入のメリットは、信頼性の向上、資産価値、自由に使用できることだろう。だがこれらは、どちらがいいか悪いかの問題ではない。自分の資産になるのは勿論、事業を行う上において必要だと判断したところが大きい。



賃貸物件は、事業内容の確認やリフォームしたい場合にオーナーの了解が必要で、いろいろ制約も多くやり難い。共有スペースの使用も第三者と共有する訳なので、遠慮しなくてはならないこともある。今の物件では、取引先や仕事をしたい人々が気軽に立ち寄れないと考えたのもある。



事務所を賃貸するか、購入するのかは、人によって意見が割れるところだ。



一般的に賃貸を推奨する人は、借金を背負わなくてよいことや、選択した場所や建物の設計に失敗し、経営状況が大きく変化(縮小)した時に身軽であることを理由にあげる。



しかし、いくらそうであっても支払いは他人のために支払っているのである。賃貸は費用だが、購入は自分の資産である。固定資産税・金利なども払うことになるが、賃貸はオーナーが支払う税金・諸費用も含んだ価格設定である。だから、自分のために、事業のためにお金を支払いたい。



急遽事業資金が必要な場合にも、不動産を持って夜逃げする訳にはいかないので、融資を受ける際に不動産は信用・担保となる。これは銀行の支店長にも確認しているので確かである。



我々の代理商は、多額な金銭の立て替え払いもあるので信用は第一である。一時期、賃貸物件のみならず経費削減のため、事務所を自宅に移転しようかと考えたこともあったが、やめにした。なぜならば、自宅での開業は生活感があるからいけない。洗濯物や家族の持ち物があるのでお客様の訪問を憚り、自分自身の仕事に身が入らなくなると思われるからだ。



不動産を所有せず身軽な経営を考えていたが、どうやら簡単に移転できるような会社では、信頼性を担保するのが難しいようである。



今後ローカリズムを推奨し地域に根差した事業を行う上においても、不動産の所有は私にとってどうしても必要だった。無論、会社設立9年目においてここまでこられたのも、私を支援してくださっている皆様のお陰であり、いたく感謝しているのはいうまでもない。



posted by ヨッシー at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | お金

2015年10月08日

代理商とブローカーの違い


代理商を、中立人やブローカーと同類にみなしている人は決して少なくはない。誤解の無いように説明するが、代理商とは、会社と会社間の商取引を取り持つ中間業者であり、会社に雇用された使用人のように企業に属することなく、全く独立した立場にある。



代理商は、特定の会社の営業活動を補助する点で、中立人やブローカーとは異なるのである。 


会社法第16条 

代理商(会社のためにその平常の事業の部類に属する取引の代理又は媒介をする者で、その会社の使用人でないものをいう。以下この節において同じ。)は、取引の代理又は媒介をしたときは、遅滞なく、会社に対して、その旨の通知を発しなければならない。


商法第27条

代理商(商人のためにその平常の営業の部類に属する取引の代理又は媒介をする者で、その商人の使用人でないものをいう。以下この章において同じ。)は、取引の代理又は媒介をしたときは、遅滞なく、商人に対して、その旨の通知を発しなければならない。


中立人やブローカーは、確かに代理商の一形態ではあるが、依頼人との信頼関係や契約期間の長さによって分類される。


(代理商)

依頼主と継続的・専属的に関係を維持する場合が多く、信頼関係もある。


(中立人やブローカー)

依頼主と単発の契約を結ぶため、継続的信頼関係に基づかない取引となる。



また代理商は、情報収集や伝達、商取引の促進と交渉を依頼主に対して行い、商取引を仲介・代行する。更には、経営や業務支援を行い、時には金銭的支援も行う場合もある。会社側における商業活動の体制が十分構築されていない時に、販路の拡大や管理も実施する。当然の如く専門知識も必要で、実績やその後の変化の踏まえたフォローを行う。



アメリカでは、セールスレップ(セールス・レプリゼンタティブ)というひとつの事業として確立したワークスタイルがある。いわばメーカーと営業代行の契約を結ぶ,個人事業の営業マンである。販路を新規に開拓して取り次ぎ,販売実績に基づいた手数料を受け取る事業であり、いわば固定経費のかからない営業マンを雇用しているようなものである。



依頼側の会社にとって、結果が出てから初めて費用が発生するため、会社の費用負担は軽くなる。ただし、会社に対する従属心や忠誠心が育たず、情報漏えいが心配だと疑問視する声もある。



しかし、これは一概に言えない。それは正規雇用者である社内の営業マンも同じである。彼等も一歩外へ出れば、居酒屋や飲み屋で社内体制の不備や社長に対する不平や不満を口にし、同時に社内情報も公開している。



ああでもない、こうでもない、俺ならこうする、社長は馬鹿だと、聞くに堪えない話のオンパレードだ。「壁に耳あり障子に目あり」と諺にもあるが、その危険性すら分かっていない。



とにかく愚痴っぽい。そんなに会社が嫌なら辞めればいいのに、その勇気すらない。まるで野球観戦で外野からヤジを飛ばしている状態に等しく、まさに自己欺瞞の塊である。



話が横道に逸れたが、情報を漏えいしてはいけないと言われている社員達も、こんな姿を目の当たりにすると、ひょっとして知らないうちに社内機密を漏えいしているのかもしれない。こちらは恣意的であったが、社員の情報漏えいで会社に大きなダメ―ジを与えた事例がある。新日本製鉄の有する電磁鋼板に関する技術を元社員の情報漏えいにより、韓国の鉄鋼最大手のポスコ社が不正に取得した事件である。



このこと一つとっても、正規雇用だから安全・安心だといえるのだろうか甚だ疑問である。情報漏えいは、圧倒的に内部が関係するものが多いという意見もあり、一歩間違えば、社内に精通している時間が長い内部にいる人間の方が脅威となるのだ。



もし社長が、社員が居酒屋で話している話の内容を偶然にも耳にしたのなら、きっと驚くことになるだろう。まるで頭上から氷水でも浴びせられたように身体が硬直してしまい、誰も信じられなくなることは間違いなさそうだ。



会社に対する忠誠心や従属心は、会社内にいる時に発揮されるが、それは会社に拘束されている時間内における表面上の行為であって、ひとたび個人になると、上辺だけの脆いものに変化するようである。更に、そこで個人的利益が得られるとなると、利益を優先するため人は暴走し制御不能に陥る。



社員の管理を性善説に則り、雇用を考えていると失敗するだろう。孟子も朱子も、人の「性」は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、「聖人の教え」や「礼」などによることが必要であると説いているように、「人は悪を行うのだと」と、このことを初めから知った上で付き合うべきだろう。



「人を信じられない世の中は、殺伐としたものとなるが、お前はその方がいいのか」と、お叱りを受けるかもしれないが、そうならないために、教えが必要となるのである。



正規雇用するのか外注化するのか。どちらが正しいとは言えないが、いずれにせよゼロリスクの選択肢はない。だが、様々な角度から考えると、必ずしも外部委託が危険で悪だとは決して言えない。経営者達は会社方針に則り、どちらにするか決めればいいだけの話である。



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2015年10月06日

やらずに後悔するより実行して後悔しよう


幼い頃の私は、あまり社交的でなかった。人前に出るのは恥ずかしくて、弱虫で泣き虫でした。学校の勉強も嫌いで、全くできなかった。高校に入るとテストの点数も欠点ギリギリで、時には追試を受けることもあった。



やがて卒業を迎える時期となり、友人たちは進学や就職相談を先生から受けていたが、私は受けなかった。大学進学も視野になかった。学業の成績が悪かったのもあるが、経済的余裕のない家庭において親に学費を出してもらってまで、三流大学で勉強という名の大義名分を得て、そこで無駄な時間を過ごしても、その時間が何に役立つのか分からなかった。



就職も先生に勧められた会社で真面目に勤めて働くことが、何故必要なのか、どうしてそんなに魅力的なのか理解できなかった。今思えば、所詮、先生もサラリーマンである。会社勤めを勧めるのは、自分達は被雇用者の立場でしか考えることができなかったからた。



勿論、私には家業があったから、会社勤めをするに思いが至らなかったのだろうが、幼少の頃から父親に後継者になるべく教育されてきたのも影響していたのだと思う。家業といってもちっぽけなもので、吹けば飛ぶような事業である。



中学性の頃から、夏休みになるとなんの疑いもなく家業を手伝い、アルバイト料を貰っていた。汗水流して得たお金は大変貴重で、このお金で好きな物が変えるのだと、興奮していた記憶がある。その頃から、自分でお金を稼ぐ行為の素晴らしさを経験した。




しかし、高校を卒業してから約10年間家業に従事していたが、突如として辞めたくなった。原因は、天候に左右される業務のため、収入が不安定で会社勤めの人が羨ましく見えたからだ。毎日決まった場所へ行き決められた仕事をして、毎月決まった給料が振り込まれることが、私にとって大変魅力的に思えた。



そんな浅墓な考えと、会社勤めの方からお誘いを受けたのもあり、家業を辞めたくて仕方なくなる。こうなると、とても不安定な家業に将来性は見えず、色褪せたものに思えてしまう。そこで思い切って父親に辞めると切り出すが、当然父親は反対する。



このままでは埒が明かず、辞めたくてしかたないからここは実力行使で、半ば家出同然の形で喧嘩して家を飛び出した。どうやら父親もそこまで私がやるとは思っていなかったようで、しぶしぶではあるが、やっと同意を得ることができた。




だが、そうまでして新しく勤めた会社も、結局10年間で辞めてしまった。他の会社の業務が魅力的に思えたのもあるが、女性問題で大失態をやらかしたのが原因で、会社にいるのが苦痛になったのもある。



それからが堕落した転職人生が始まる。何処へ行っても長続きせず、合計9回ほど転職を繰り返した。他人から「長続きしない人だ」と揶揄され、信用もなくなった。今となっては、その頃経験が生かされている訳だが、当時は何ら目標を持たず流されるままに生きていた自分がいた。



本当に「ダメなやつ」だった。



そんな私が当時考えていたことは、「もっと、いい仕事はないのか」「いい仕事さえあれば楽になれる」ということばかりだった。


ところで、「いい仕事」とは何なのだろうか。給料が高額で休日は多く、業務内容は楽で人間関係に悩むことのない、カッコいい仕事を言うのだろうか。確かに人それぞれにいろいろな価値基準はある。しかし、そんなモノはなく幻想でしかない。要するにその言葉の中には、楽をして儲けたい気持ちが表れているのだ。


そしてよく耳にするのが、「いい仕事にさえ付ければ」「お金さえあれば」「自分は変わりたい」「いつもやりたいと思っているのだ」というセリフ。やりたいなら、今やればいいのに、自分勝手な理由を付けて先送りし一向にやろうとしない。まさしく、転職を繰り返していたあの頃の私がそうだった。




そして数少ない機会を失い、歳をとりやがて老いて死を迎える。人は現在(いま)を生きることしかできない。現在(いま)を無駄にして、死ぬ間際にどんなに後悔しても遅いのである。



  
       

       

            *まとめチャンネルより


posted by ヨッシー at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる

2015年10月02日

当たり前だけど考える


哲学者は当たり前だと思うことに深く悩み問い続ける。この本の著者である中島義道氏も同様で、「人は死ぬ」という当たり前のことを問い続け、「どうせ死んでしまう」ことを直視している。


本書は、「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのでしょうか」のタイトルとおり、自殺についての話から始まる。



「なぜ自殺してはいけないのか?」。その答えは唖然とするほどない。



人が自殺しない理由として二つの理由があり、一つ目は、親兄弟、配偶者、友人、知人が悲しむからであり、二つ目は、自分が死ぬ時に苦痛を伴うかもしれないとう恐怖があるからだ。


穿った見方をすれば、この二つの問題が解決されさえすれば、人は自殺ができることになる。


今を生きている人々に対し、「あなたは、なぜ自殺しないで今日も生きているのか?」の問いかけに、まともに答えられる人がいるのだろうか。



そんなことはない、「生きていれば楽しいこともある」「努力すれば報われる」「死んでどうする」などと、まともでない答えで説得されても、全ては虚しく嘘くさく聞こえてくる。人生は理不尽であり、いいことばかりでなく、多くの不幸も待ち受けている。それは原理的にいかなる解決方法も持ち得ないのだ。



美辞麗句を並べ立てた講義や、向上心の高い人々による言葉のような誤魔化しは全く通用しない。どんな不幸にあえぎながら生き抜いても、その後の人生に待ち受けているのは「死」だけだ。ならば、なぜ今死んで悪いのだろうか。自殺を考えている人がいたら、どうして死ぬなと言えるのだろうか。果たして、この本当の問いに向き合い正しい答えを持ち合せているのだろうか。



今生きている我々は、明日死ぬかもしれない。これは、死刑判決を受けた死刑囚となんら変わらないと書かれている。「著者は、死刑囚は確実に死ぬことが決まっているが、我々はそうではない」理論もまやかしだと断言している。



死刑囚は数年のうちに殺される(なかなか殺されない人も中にはいるが)。我々も数十年のうちに殺される。死を迎える形は、病気、怪我、不慮の事故、あるいは寿命をまっとうし息絶えるなど様々あり、違いは処刑までの不定期の長さだけであると。



誰でも真顔でこう問われたら、言葉を失ってしまうだろう。



著者の本を何冊か読んだが、読み続けると中毒になる可能性がある。世間に毒を吐きちらすとも取られかねない内容に、拒絶反応を示す人も少なくないだろう。だが、内容当たり前のことだからと深く考えず、思考停止してしまうことに危険を感じなければならない。



当たり前だからこそ、そこで考える勇気が必要となる。人は「死」について考えないようにしているだけで、真に向き合っていない。必ずや来る「死」に関して向き合い、人生の全てが無価値、偽り、仮象だと前向きに捉え、積極的に生きる態度(積極的・能動的ニヒリズム)を教えてくれる一冊だった。



蛇足だが、トーベ・ヤンソンの小説の登場人物であるジャコウネズミは、いつもセリフが「無駄じゃ無駄じゃ」だった。彼がいつも読んでいる本は『すべてがむだである事について』であった。



今思えば、彼は消極的に生きる消極的・受動的ニヒリズムの態度だったようだ。彼のように生きるのも一つの生き方であるが、私には真似できない。



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posted by ヨッシー at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる