2015年01月30日

経営者の苦労


それぞれの業務により、市場の中の働きや影響力は違います。さらに細分化して同じモノを見ていても、それぞれのポジションによって判断基準や方向性は変わってきます。



会社経営において、税理士、銀行、経営者、この三者関係はそれを如実に表しています。



税理士

税理士は損益(P/L)中心に話をします。会社の経営に黄信号が灯ると「売上が落ちて経費も増えています。至急対策が必要です!」と、言われます。


いくら利益が出て、税金はいくらになるのかが彼らの仕事です。でも、数字上でモノを言うだけで具体的な対策案を示してくれません。


経営者達は、数字を見てどうすればいいのか、それを具体的にどのような方法で解決できるのか示して欲しいのです。


決算書は確かに重要ですが、それは結果でしかありません。通知表の様なものです。決算書を作成するだけで、経営者の要求に応えられるのか疑問です。



銀行 

銀行は(B/S)を重要視します。担保能力があるのか?返済計画に無理は無いか?担保割れしない様に貸した金がきちんと返ってくるのか?それが一番の心配事です。


企業の将来性など見る目も無く、企業経営者は会社を存続させ成長するためにお金が必要なのに、とにかく必要な所に融資をしません。


利息収入を得るため、自分達の利益を最大化することしか考えていません。近年の銀行は、確実に融資を回収できる会社や、日本国債を購入するためだけにあるとしか思えません。



企業経営者

中小企業の社長たちは、資金繰り(C/S)で経営を考えます。従業員の給料は?仕入先の支払は?手形決済は?預金残高は?売掛金の回収は?キャッシュフローに重点をおきます。


会社は日々のキャッシュがあれば何とかなります。人間でいえば血液の流れに例えられます。帳簿上の利益はあっても、キャッシュが入らなければ即倒産です。


会社を存続させるため、なるべく借金をしないように経営者は奔走します。このあたり、現金収入が日々ある現金商売は強いですね。


一体、会社とは何のために、誰のために存在するのでしょう。




それぞれが、各々の視点から物事を見て判断します。しかし、一番苦労しているのは経営者です。企業が存在しなければ、金融や会計も語れません。企業が存続し利益があるからこそ、金融、会計、税務があると思うのです。



会社経営に難しい経営理論は必要ありません。利益を上げるには、売上を上げるか費用を下げるしかないのです。売上を最大化し、費用を最小化できれば最大の利益が得られます。



これが全てです。どんなにカッコよく経営理論や目標を語っても、全てこれを目指しているのです。



非常に単純な考え方です。でも、実践するには一番難しく苦労するところなのです。



私の友人は、キャッシュをストックし過ぎたあまり、利益から多額の納税を余儀なくされました。お国にとっては有難い人です。しかし、納税額を抑えたいがため、節税をやり過ぎるとキャッシュが乏しくなりますから、過度な節税も禁物です。



節税と可処分所得を増やすことは違うものです。自分がどうしたいのかにより、方法は異なります。それらを相談できる専門家の存在が重要です。



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2015年01月28日

食の安全は誰が担保するのか


食の安全は誰が担保するのでしょう。製造者でしょうか、販売者でしょうか。大手外食チェーン店の異物混入事件で騒がれていますが、こうなるどちらも信用できなくなります。



ここで、安物ばかりを買う購買層が引き起こした影響は否めませんね。



食の安全と価格はトレードオフの関係にあります。品質を優先しようとすれば価格は高くなります。逆に価格を優先すれば品質はそれなりのものとなります。一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係はどこにでもあることです。



品質と価格を両立させるのは、相反するのもので難しい問題であります。



安いモノばかり買う人もいます。その反面、品質重視で高いモノでも買う人もいます。何を購入するかは、個々のライフスタイルや経済状況、時間、利便性を考え対応を変化させ最適化します。



しかし、売り手がいくらいいモノだとアピールしても、その人の判断基準の中で価格が優先されれば、いくら高品質なモノでも買ってもらえません。その反対に、品質優先の人は安くても低品質のモノは敬遠します。



だからと言って安物ばかり買うな、品質ばかり優先するなと言うのは簡単ですが、その人が何を犠牲にするかによって買うモノを決めているのです。



安いお店もあれば高いお店もあります。それを自分の尺度で決め、条件にあったその時にモノを手に入れるのです。



とは言え、食品は自分の身体の中に入るモノです。消費者があまりに低価格ばかりを追求した結果、粗悪なモノが市場に蔓延る結果になったのも事実です。



食事は自分で確かめた材料を手に入れ、手間を惜しまず自分で作るのが一番安全は方法です。しかし、時間をお金で買わなければならない忙しい現代人にとって、これをやれと言うのは少々酷な話ですね。



いずれにせよ個々が起こす消費行動によって市場も変化します。我々の社会にとって必要なモノなのか、それを買うことにより社会にどのような影響を及ぼすのか、そこまで考えが及べば、自ずと消費行動も変わるのかと思うのです。



大局的観点で物事を見る目を持つ。自分で実行できる範囲でいいのです。今日から実践してみませんか。




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2015年01月27日

私が独立した動機


仕事をしていると嫌な思いをしたり、一緒に仕事をする人達と意見が合わず、すれ違いになることも多いですね。ご多分に漏れず私もそうでした。

恐らく私は、組織で生きられる人間で無かったのでしょう。そんな私が独立したのは、5つの動機があります。


@うるさい経営者との衝突

オーナー経営者は、カマドの灰まで自分のものです。気持ちはよく分かるのですが、日々「あーでもない」「こーでもない」と報告を求められ、更に会議の席でも同じことを質問してきます。

人を信用しない気持ちの裏返しだと思いますが、いい加減にして欲しいものです。自由裁量がなく、やりたい仕事が出来ないジレンマが常にありましたね。

少しは人のこと信用して、任せておけばいいのに心配なのでしょう。それなら自分で全部やればいいのにと思ってばかりいて、これでは精神衛生上よくない。会社とお別れしてスッキリしました。



Aダメな部下の管理

遅刻や無断欠席は当たり前。部下は大小様々なミスを繰り返します。その対応に追われるあまり、やりたい仕事が制約されます。

チームで行動するのですから、私の責任だと言われるのが関の山でしょう。組織にいるのだから、自身に覚えの無い責任が他者から降りかかるのは当然かも知れません。

しかし、これが頻繁に続くと正直参ります。挙げ句の果てに「会社辞めます」とくれば、「いい加減にしろ!」と、怒鳴りたくもなります。

外部要因からくる、理不尽な思いをしたくなかったからです。

ここは、私の管理能力不足としておきましょう。



B将来収入が予測できてしまう

最後にいた会社は年俸制でした。金額は全て経営者の判断で決定されています。どんなに一生懸命働き、結果を出しても劇的に変化しませんでした。これでは、将来の生活像が予測できてしまいます。

木暮太一さんが言うところの、給料は必要経費方式で、会社からは生活に必要なお金しか渡されないのです。当然、収入に基づいた生活設計になります。

何をしようにも、経営者の判断により従業員の価値が決定されてしまいます。そして、余剰分は経営者(資本家)に搾取され、会社は儲かっているのに従業員は働けど働けど楽にならない構図になります。

自身以外の第三者に生殺与奪権を握られていることが、恐ろしくなったからです。



C同じ場所へ同じ時間に集まる違和感

毎日決められた場所へ決められた時間に通う。都市部での通勤は満員電車に揺られ、地方なら自動車の渋滞に巻き込まれながら毎日会社に通う。

「そんなの当たり前だろう!」「常識ではないか!」と、思ったあなたは、脳が硬直していますよ。

ネット環境が発達し、次々に便利で安価なアプリやソフトが開発されている現代。会社にいなくても仕事が出来る環境が整備されています。そんな時代に、会社に通うことが果たして必要なのでしょうか?

独立したのは、一つの場に拘束されない生き方がしたかったからです。

常識を疑いましょう。



D時間が無駄だと感じた

前述した内容と重複するかも知れませんが、自身の身の回りに働くためのツールと環境が整っていれば、時間が有効に使えます。

私が独立した初年度は、自宅で法人登記し開業しました。これで通勤時間はゼロです。結果として、時間の有効活用とストレスフリーを実現出来ました。

ただデメリットもあります。いつでも好きな時に仕事に取りかかれますから、気になると、夜でもすぐに仕事をしてしまうのです。また、日常生活がいつも身近にありますから、仕事とプライベートのメリハリをつけるのに苦労しました。

それでもメリットの方が大きかったですね。



職種にもよりますが、これらを実現するのは十分可能です。

独立すれば、あまりにも自由です。お客様に対し、やることやり結果さえ出していれば、極端な話ですが毎日遊んでいても誰にも叱られません。収入も努力次第で増えます。自身の決めた生き方と違うと思えば仕事も選べます。


変わりたいけど変われない。変えたいけど変わらない。自身の勤める会社の方針や他人の考えを変えるのは、かなりの困難を伴います。


それならばいっそのこと、自身の環境を変えてみては如何でしょうか。


自身から環境を変化させたなら、問題点や原因の追及も自問自答すれば済みます。選択したのは自身。決定したのも自身です。誰に文句を言えましょうか。


それとも他人に選択や決定を委ねるのですか?私はご免ですね。


時には失敗もあるでしょう。でもいいじゃないですか。愚かな自身に「バカヤロー!」と、言えばいい。叱責する相手は自身であり、責任の所在確認を求めるのも自身です。


他人に責任転嫁をしなければいいだけです。


最後に「独立はいいことばかりです」と、言いたいところですが、時には大きな苦労や失敗もします。


私の会社経営は現在進行形です。これが出来るのも、素晴らしい人々との出会いとお力添えがあってこそです。少しだけ運もあったのかなと思います。


posted by ヨッシー at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる

2015年01月26日

経営者感覚を持て


よく会社内で、社長や上司が「経営者感覚を持て」と、従業員や部下に対して仰います。



これって、本当に分かって貰えるのでしょうか?



経営者感覚とは私なりに解釈いたしますと、「利益を出す」「無駄を省く」「高効率的な稼働を目指す」「未来を見据える」「現在ある課題を解決する」など、数え上げれば沢山あります。



これらを実現するため、経営者達は常日頃から努力を惜しみません。そこには、経営者の自己実現や利益目標、将来のビジョンなど、欲望が原動力になっています。



そして、自分達が努力すればするほど大きな果実(報酬)を得ることができますから当然です。



いくら口を酸っぱくして「経営者感覚を持て」と、従業員に伝えても理解してもらえないのは何故でしょうか?



それは、そこに従業員自身の利益がないからです。多くの負担を強いて、毎月の決められた金額だけで満足できるでしょうか?少なくとも私は辛抱できませんね。



結果を出した時に何らかの利益がないと人は動かないと思うのです。言葉で伝えても分かっては貰えません。伝えるのと分かるは違いますからね。



ガミガミ言うだけで人は動きませんよ。



儲かっている会社ならケチケチせず、可愛い従業員や部下にも少しは還元してあげましょう。還元する気が無いなら、「経営者感覚を持て」と言わないでおきませんか。



posted by ヨッシー at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 実務管理

2015年01月24日

フェイスブックは面倒です


フェイスブックやめました。

やるのが本当に面倒になりました。友達申請しているから、いいねを押さないと悪いと思ってしまいますし、いいねが少ないと人格を否定されるに似た気分にもなるので、もう止めています。


フェイスブックが面倒なことの5箇条


@オンでもオフでも気を使う

会って話をした人と、更にあった当日にフェイスブック上でも繋がるのは面倒です。お互いに会って話をしたのでしょう。オンラインで、また何を伝えるのですか。会って全てが伝わらないなら、それはコミュニケーション力が不足しているのかも。


Aニュースフィードに反応しなければならないストレス

◯◯食べました。◯◯に行った。今日は◯◯でした。知りたくもないどうでもいい内容が、アップされていきます。それを知らせて何がしたいのでしょう。イベントやセミナーの誘いもうっとしいです。


Bどうでもいいことに時間を費やしてしまう

友達もどき?に対して、いいねを押す。私はあなたに興味を示していますよ。それは、貴方に関心がありますよの意思表示でしょう。しかし、面倒ですよね。そんな時間があれば、もっと生産的な方面に時間を費やしませんか?


C知る必要のないことまで知る

結婚やイベント。セミナーや会合。別れ話や失敗。喧嘩や犯罪。世の中には知らなくてもいい、知らない方が幸せだったと思う情報が沢山あります。知りたくもない他人の情報を知った余り、余分な心配と付き合いが増えてしまいます。金銭的負担も増えてしまいます。


D人間関係のトラブルが増える

スマホがない時代、友達との出会いは、紹介や友達の友達など、アナログ的な出会いでした。スマホにより、遠方のアナログなら出会う可能性が皆無に等しかった人々に出会えるのは確かです。その反面、簡単に出会いえるため人間関係が希薄になります。意思の疎通が計れずトラブルに発展する可能性も考えられます。5年前まで使っていなかったでしょう。使わなくても生きられるのではないでしょうか。



確かに使うと便利でデメリットばかりではありません。でも思い切って止めると、スマホやパソコンで何気なく見てしまう無駄な時間がなくなり、ストレスも少なくなります。


やめて交流がなくなれば、その程度の付き合いだったと、諦めればいいのです。


他人のプライベートなど、どうでもいいのです。人生、他にやらなければならないタスクは沢山あります。


時間を持て余した人々の生活を覗きながら、自己顕示欲を満足させる場であるのかも知れません。


私の身近な人以外、どこで、誰が、誰と、何をやっているのかすら分かりません。どうでもいいことです。


やめれば時間が、もっと有意義に使えます。


何かに縛られている様に思えませんか。スマホの奴隷にならないように注意しましょうね。


中には、個人の誹謗中傷を書いている人がいて、更に、何も知らないのに的外れなコメント返している人々がいます。


何も知らないのに、滑稽過ぎて笑えます。




posted by ヨッシー at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年01月22日

人は自由だ


世間や会社や他人のせいにして、「自分の人生を生きられない」「失敗したではないか」なんて文句を言う人がいますが、そんなことは全然ありません。



だって、誰も強制していないのです。強制的に「やれ!」などと誰も命令していない。奴隷じゃあるまいし、「もっと働け!」とも言っていない。



最後に選ぶのは自身です。



誰の責任でもなく、本当は自分がそうしたいから、そうしているだけですよ。



自由な人は、したくないことはしたくないからしないのですが、確たる自身の思いがない人は、したくないことはしてはいけないからしないのです。法律に定められていることも、悪いことではなく、してはいけないからです。



したくないからしないのと、してはいけないからしないのとでは天と地ほど違いがあります。



自身の意思が働いているか、働いていないかの違いです。



自身が善いと感じ、自身が悪いと感じ、そのことにのみ従って行為する。



全て誰の責任でもなく、それを選んだ自身の責任によるところが大きいのです。



最後は自身の決断です。



全て他人任せで、自身の責任を棚に上げ、「これは私の意思でない」「全て他人の責任だ」という人は、自身の不甲斐なさを露呈しています。



更に、他人に対して攻撃的な気分になるというのは、結局、巡り巡って自分に負の影響を与えます。他人を攻撃するというのは、基本的に無駄なエネルギーの使い方ですし、何より人望を失います。



進むべき道を決断した時に、自身の自由意志はなかったのでしょうか。



人は自由です。



あなたはプログラミングされた、ロボットではないはずです。



なりたい自身になると決意した時、批判を受けることはありますが、自由が得られるのですから、そんなもの取るに足りません。そういうこともあるなと、開き直るのも必要です。


善悪の定義は自身の中にあります。自身の仲間や家族が持つ、ちっぽけで大衆という薄汚れた衣服にまとわれた正義感を信じていていいのですか?



責任の所在確認を他人に求めているあなたの人生は、本当にあなた自身の人生でしょうか?



責任を転嫁する心の中には、自身の能力や才能に自信のない思いが現れています。



しかし、自身が信じているその能力だって、衰えているかもしれないのです。



池田昌子さんの著書の言葉が、心に沁み入る今日この頃です。



posted by ヨッシー at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年01月19日

I hate to hear of five words.


私の嫌いな5つの言葉


@頑張ってください

私はこの言葉が一番嫌いです。何を頑張るのでしょう?もう頑張っていますよ。これ以上、何をどう頑張れというのでしょう。伝える人に教えてあげてください。


A負けないでください

これも頑張ってくださいと同じです。何に負けてはいけないのでしょう。負けてもいいじゃないですか。また立ち直ればいいのです。やり直す機会があれば、どんどんやり直せばいいだけです。


B体に気を付けてください。

言われなくても、いつも気を付けていますよ。でも、時には寝る間を惜しみ、不規則な生活をしなければならない時もあるのです。病気になり難い身体づくりは必要ですけど、いたわってばかりいられない時もあるのです。


Cきっとうまく行くよ

なんの根拠があるのでしょう。うまくいくか、いかないかなんて、やってみなければ分かりません。事業なんて、多くの不特定な要因で、どうにでも変化します。


D諦めないで。

諦めてはいけない風潮があるようですが、ダメと判断したら潔く撤退するのも手です。潔くないと、損失が拡大します。企業経営にとって諦めの悪さが、命取りになる場合があるのです。


安易な気持ちで放つあなたの言葉が、時には人を傷つけるのです。


本当に心配なら、手垢にまみれた簡単な言葉だけで済まさず、もっと具体的なアドバイスをしてあげましょう。



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2015年01月16日

The truth will be discovered someday.


悪口を言う人は放っておけばいいですね。


悪口を言う相手は正しいか正しくないかでなく、自分の劣等感を振り払うためにやっているからです。そのため、正論をぶつけても仕方ありません。


本当の意味で幸せな人は、人の誹謗中傷を言いません。誹謗中傷を言うのは自分が不幸であり、劣等感を感じているからです。


そっとしておいてあげましょう。


ここで、こちらも同じように熱くなってはいけない。


そんな人には関わらず気の毒な人だと思い、相手が何を求めているのか冷静な判断が必要だからです。


正負の法則の通り、自分が何かを得たなら何かを失います。両方を得ることは、あまりにも欲張りです。もし相手に冷たくしていたのならば、負が生じてしまいます。これは仕方ありません。


自分が良いと思ったことをやった結果です。もし、負の影響を受けるのが嫌なら、やらなければいいのです。


人の評価など、どうでもいいのです。人を変えようとせず、絶対信は自分なのですから、自分自身の考えを変えればいいだけです。


人を変えるのは困難です。変えようと思えば思うほど辛くなります。


自分は誰のために生きるのか?自分の人生は誰のためにあるのか?もちろん自分のためでしょう。


そう考えれば気持ちは楽になります。他人の意見や評価ほど、無責任で不明確なものはありませんからね。


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2015年01月12日

自分の生活環境が変わらない人々の5箇条


いつまで経っても、自分の生活環境が変わらない人々の5箇条



(1)何もしないのは楽だから。

何もしない方がストレスがたまらない。手慣れたやり方は、スムーズにでき、殆ど何も考えなくていい。脳を使わずとも体が勝手に動く。



(2)やらない理由を述べるのが上手

今のままでも困らないし、適当でも生きていられるので、沢山の何もしない理由を述べるだけ。「でも・・・」「時間が・・・」「お金が・・・」「チャンスが・・・」などがそう。



(3)新しい行動は継続し、習慣化させるのが大変だから。

やり方を変えるのは、慣れるまでに大きな労力を必要とする。とにかく面倒なことが嫌いで、手を出そうとすらしない。



(4)将来のリスクに本気になれないから。

実際に困ることに遭遇する確率がゼロに近いと思っているので、どこか不真面目。



(5)楽な行動を選択できる環境があるから。

行動は付き合う人達や環境で変わる。同じ考えを持つ人々と交わることで自分を正当化する。



自分で変えたい、変わりたいと思っていても、こんなことばかりしていれば、環境が変わる訳がない。



反面、これらと反対の行動を行えば、変わることが出来る。


悪しき習慣から脱却すればいい。



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2015年01月08日

会社存在の意義


会社とは利益を上げてこそ存在する意義があり、そこに働く人の生活も、その利益によって成り立つ。


この話のソースは定かでないが、備忘録よりご紹介します。(私は個人的に、龍馬は好きでない。今で言う内乱罪(クーデター)を起こしたからだ。まっ、勝てば正義だから結果が全てとして受け止めるとするが、あまり美化したくない。)



龍馬が脱藩してまもなくのころ、当時、京都に集まった浪士たちは、連夜酒を飲んでは「攘夷」だの「討幕」だのと喧々囂々の議論に明け暮れていた。そんな時、龍馬だけはその輪に加わらず、一人黙々と酒を飲んでいた。



そこである者が、「貴公、なぜ論に加わらぬ」と問うたところ、龍馬はひとこと言った。



「論で人は動かぬ。利で動く」と。



人間は、事の善し悪しで動くのではない、損得で動くというものだ。



確かに論ばかりではいけない。だが、自分の利だけを求めていてばかりでもいけない。論と利はバランスよく合わせ持たねばならない。





そして、これはあまりにも有名な、ジョン・F・ケネディ大統領就任演説の一部。




「同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」とある。



我々は、国だと余りにも規模が大き過ぎて実感できないので、国を会社に変えると分かり易い。



確かに利を求めるのはわかるが、己の利ばかり追求せず、会社に何ができるのかも自問自答して欲しい。



要するに、利を得るためには、自分の出来ることを自分なりに精一杯やった結果として、利が得られるのではないのか。



世の中には、自分が何をできるのか、何をやれるのか、何をするのかも具体的に示さず、己の利益ばかりを優先する人がいる。



本来自分がやらなければならないことは後回しで、自分の権利ばかり主張する人達。




こんな人とは、恐ろしくて市場という戦場で一緒に戦えない。背後から自分に向かって、銃弾が飛んでくるかも知れないからだ。



「君子危うきに近寄らず」「臭と知りて嗅ぐは馬鹿者」の例え通り、大きな怪我を負わないうちに、自分から距離を置いて、こんな人達には近寄らない方が賢明な選択だ。



経営者達は国家百年の計と同じく、会社を存続させるため大局的な視野で考えている。考えに考え抜いたその後、時にはシビアな決断を下さねばならない。また、そういう判断を求められる場面が多々ある。



何故か?答えは簡単だ。企業経営は、安定した給料を不安定な売上・利益から生み出さなければいけないからだ。



利益が確保できれば還元できるが、その逆だとすれば還元できない。もし、赤字の額が大きく会社存続の危機に直面したら、給料を払う原資すら確保できない。



あなたが、もっと欲しいと思うのは勝手だが、そもそもあなたが働く会社が存在しなければ、いくらお金が欲しい、欲しいと言っても始まらない。



この辺りは、社長と社員の利害関係が、完全に一致することはない。



社長と社員は利害関係で結ばれ、ある意味では敵対関係にあるからだ。



社員と社員の立場は、いつまで経っても交わることはない。いや、列車のレールのように、決して交わってはならない。



そんな彼らが会社の帰りに居酒屋にでも寄って、上司の悪口をいったり、仲間内で「この会社の経営はなってない」とクダを巻いて、ウサを晴らしているのは放っておけばいい。



決して、社員の気持ちを理解したいがため、経営者はその中に混じってはならない。そんなことすれば、目指していた的が一気に見えなくなる。



経営者はあまりにも孤独だ。会社は仲良しクラブではない。利益を得ることが目的である。冷静な判断を行い、利益を得て初めて、経営者として認められる。



利益を得るためにも、お互い適度な距離は必要である。冷たい言い方かもしれないが、社長は社員に近寄りすぎてはいけと私は考える。



読書に例えるなら、文字読むのに適度な距離は必要だ。



近寄り過ぎては、何も見えなくなる。




posted by ヨッシー at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | お金